.
.  浅見です。
 昨夜、津田塾大学津田梅子記念交流館で行われた、同校卒業生千田悦子(ちだ・えつこ)さんの講演会の様子をお伝えします。
 もし参加されていた方で、補足・訂正が必要と思われた方は、その旨よろしくお願いします。

 千田さんが、9月13日付「アフガンからの手紙」を現地から友人に私信として送信したところ、共感を持って受けとめてもらえたことは嬉しかったが、途中から中立であるべき「国連職員」の肩書きがついてしまい、私信の内容が問題とされてしまった。この講演内容の録音・ビデオ収録などは、個人や仲間内での視聴は問題ないが、公の場での公開、マスメディアの記事への引用については、了解が必要との注意がまえもってなされた。なお、同手紙の要約は、ちひろ美術館、“子どもの反戦アピール”として発表される予定とか。

 ここでは、“アフガニスタンをよりよく知るため”に、学生と市民へ公開された講演会であったこと、体験した範囲で個人として話をされたこと、また講演の忠実な再現記録ではなく、浅見に印象深かった部分のみを「仲間内」への参考として、順序を少し変えて記したものであることをお断りしておきます。ー転載可ー

◆偶然だった
 1998年ケニア大使が訪問した難民キャンプに、“現場中の現場の仕事”をするフィールド・オフィサーとして滞在していた。大使訪問の2日後、ケニア、タンザニアのアメリカ大使館テロ事件があった。その10日後、アメリカはアフガンとスーダンを爆撃した。
 つぎの任地として印象のほとんどないカンダハールを候補地の1つとしていた。ゴダイゴの曲「ガンダーラ」を聴いているくらいだった。ガンダーラの語源の地とか。
任地決定の時、ちょうどインド航空ハイジャック事件が起きた。

 8月に、同僚と3ヶ月以内に「退避」になるかも…と予感を語りあっていたら、9月にテロ事件が起き、本当に「退避」となった。一時帰国、10月9日にパキスタンに戻る予定が、8日の爆撃で、かなわぬことになり、今大変心配で、気の重い、沈んだ状態にいる。

◆難民とは
 昨年まで緒方貞子さんが代表をしていた国連難民高等弁務官事務所UNHCRの役割は、難民援助と難民の本国自主帰還・庇護国定住・第3国(スカンジナビアの国々、オーストラリアなどへ。日本はほとんど受け入れていない)定住など、難民問題の「恒久的解決方法」を実現することにある。
 難民とは、人種・宗教・国籍や政治的意見などで迫害を受け、国境を越えた人々のことをいう。国境を越えていない人々は、難民とは言わない。国内避難民という。

◆心痛めること
 アフガンでは、多くの農民と遊牧民が、国内の都市周辺に避難している状態にある。過去3年、ここ100年来という旱魃で、家畜を失い、食糧の援助受けないでは生きていけない人が30‐50%におよんでいる。
 メディアは空爆のニュースばかり流しているが、空爆によってパキスタンからの国内避難民への食糧援助が止まっていることは知らせない。カンダハールで夏55度、冬マイナス20度の地で、「戦後」になってメディアが入ったら、1700万のアフガンの人々の半分が餓死という状態になっていないか大変不安である。

 イスラム教神学生タリフらの運動=タリバンが90%、北部同盟が10%支配している。
9月11日テロの数日前、北部同盟のマスート暗殺があった。意外だったのは、タリバンのパシュツー族が喜ぶのではなく怒っていたことである。アラブ人ジャーナリストによる自爆テロ暗殺とされているが、アラブ人に殺されたということに怒っていた。
 アフガン人の結束強さ、誇りの高さを表わしている。ベトナム戦争では、ベトナムの勝利に終わったが、今回のアフガンでは、彼らの誇りが傷つけられたと、最後の独りになっても闘いつづけることになりかねないかと大変心配している。

 カンダハールからクウエッタまでの道路もようやく通れるようになり、効率の悪い地雷除去も事故率2〜3%になったきていた。しかし一昨年から国連の経済制裁で、アフガン人は苦しくなっていた。
 タリバン支配下で、ぼつぼつ帰還難民も出てきており、ともに生きて行けるようになりかけたところでの空爆である。
 1979年ソ連侵攻以来、難民問題が注目され支援もあった。しかし「支援疲れ」となって、いつしか注目されなくなり、この空爆でアフガンがまた注目されるようになった。でも数年後また同じように忘れ去られるのかと思うと胸が痛む。

   ◆タリバンのイメージについて
 マスコミでは「鬼か吸血鬼」のイメージが流されている。

 タリバンといっても一様ではなく、出身神学校別、出身地別など派内はいろいろである。オマール氏の側近は強硬派。アフガンを支配下に置くにしたがって、タリバンの末端は権力を手にし、独特な教義の理解にたち“横暴“な行動に出ている傾向がある(髭をそると逮捕するなど)。

 タリバンは、「二枚舌」「タテマエとホンネ」をつかいわける、つくづく「アジア的団体」と思う。例えば、2000.8から医療を除いて女性の雇用と教育を禁止する法が出ているが(タテマエ)、実際交渉しだいで雇用もできていた(ホンネ)。
 暮らしの中でも、靴を脱ぐ、寝る時は布団で雑魚寝など、日本に“近い”。

 しかし、「人権侵害」といった国際的批判にさらされると、タテマエで硬直化してしまうようだ。バーミヤンの大仏の件でも、タリバンによる仏像・偶像のチェックをしていただけなのに、「不穏な動き」として指摘された途端、2時間後に破壊された。このとき“こわすぞ”の声に、それまでは忘れ去っていたのに世界から急に援助が殺到した。彼らは、大仏の方がアフガン人より大切に思われているのかと受けとめたようだ。

◆女性と教育
 1970年代国王シャーの近代化により、ミニスカートも女性のデモもあった。
 しかし、農村の保守的傾向はいまだ強い。日本の明治の頃の女性と同じように思える(千田さんの祖母の感じという)。親が結婚相手を決め、当日まで相手と面識がない、いとことの結婚が多い、男女は席を同じくしない、など。
 70年代女性に教育はされておらず、識字率は世界の下から5〜10位だったのではないか。
 それでも子どもはコーランの学校へいき、女性も唯一であるがカンダハールに看護学校がつくられるようになった。

 男性は、女性がブルカで顔を覆い、家内にいることに不平はないし、一般の女性もそれを受け入れているようだ。

 ちなみに、多くのアフガン人は難民キャンプで生まれ育った。70年代アフガン近代化の時代を知らない。はたして彼らの歴史をつくっていけるか…

◆日本認識について
 アフガン人の暮らしの中に、日本の(名古屋の名も!)粗大ごみ、中古自動車がたくさん入っており、リサイクルの腕は驚くほど高い。カセットテープ、体重計、CD、メロディオンなど日本製をよく目にし耳にする。
 “日本はいい国だ”“平和憲法を持っている”“侵略戦争をしていない”“経済大国だ”と評判はよい。

◆9・11テロ後のハワイで
 千田さんは、テロは犯罪であり、法廷で証拠を持って裁かれるべきである。ラディン追及が、どうしてタリバン政権攻撃となるのか、不満に思っている。そう思っていても、ハワイでの経験では、ベトナム戦争には反対した友人も、テロリスト側か否かのどちらかしか認めない。
 今回のことで得をしているのは誰か、武器商人か、ユダヤの銀行かなどなど、そんな事は言えない雰囲気になっている。どこかおかしい。

◆日本の人ができること
 *お金・募金を
 *アフガンの人が住むための越冬用のテントを(自衛隊のパキスタン製でなく日本製を)
 *マスコミから忘れ去られようとするだろうが中村医師やガールスカウト(8年以上)のような息の長い運動を
 *世界から多くの支援団体が入るだろうがつづけてもらいたい
 *難民の受け入れを(日本はよい国と思われているし、文化的にも住みやすい) 

講演内容についての私のメモは以上です。

.
.