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これはアフガニスタンのジャララバードで医療援助を行っているJVCの清水俊弘氏からのメールをJVCの許可を得て掲載したものです。 JVCのサイトは下記のURLをクリックしてご覧ください。 http://www.jca.apc.org/jvc/
◆ 蜂須賀さん、谷山さん、熊岡さん、他東京の皆さん
お元気ですか?こちらは最近急に暖かくなってきました。10日前の雪が嘘のようです。 ジャララバード/清水 P.S. 報告の中で、地雷除去に着いて詳細な報告を書いた部分があるので、前川さんにも回して下さい。JCBLからACBLへの支援13800ドルで、新しい地雷回避教育の教材を作成し、3月はじめにいっせいにハンドアウトする予定です。関連写真とクラスター爆弾(本物)の残骸を高嶋さんに託します。 ◆
2月8日(金)
◆ 細村さんがペシャワールに出る。無口なせいか、アフガン人は皆「彼はなぜ怒っているのか」といつも心配して いた。雪の関係で、カブール行は今日もお預け。時間がもったいないので、Dr.マスードらとベイスードへ行く。 いつも遠方に見える山には雪が積もっているが、今日はすぐ近くの小山も雪化粧をしてまぶしい。この山に雪が 積もったのも30年ぶりだとのこと。スタッフのシディックの家で昼食をごちそうになる。メニューは定番の豆 の煮込みとナン、そして特別に鳥を用意してくれた。 午後、事務所に戻り、栄養教育活動用の器具(ござ、大なべ、やかん、皿など)と食材を確認し、見積もりを頼 む。明日からカブールなので、購入資金を仮払いし、我々が戻るまでにすべての準備を終えるように手配。
◆ 午前9時、カブールに向けて出発。西に向かって走ることわずか30分程で道の舗装が途絶える。後の5時間は 延々とがたがた道を行く。しかし、サロビの谷を始め、途中で見える山々の景色は絶景だ。午後2時ようやくカ ブールに到着。市街に向かう沿道には長年の戦争で破壊された軍事施設や戦車がころがっている。その内のいく つかの施設を直し、ISAF参加の各国のベースとしている。ドイツ、トルコ、フランス、そしてロシアの軍人達 もいる。ここまで破壊しておきながら「治安維持」と称して再度アフガンに駐留するとはナイスギャグとしか言 いようがない。OMARのカブール事務所でファゼルと会う。昼食後、ゲストハウスに移動。 ゲストハウスは、欧風というかロシア風という感じの住宅街にある。国連の各機関の職員宿舎や他のNGOの事 務所もこの一角に集中している。この辺りもカブールの中のほんの一角に過ぎず、官庁やホテル、そしてアフガ ン銀行などがある一角や、中世を思わせる古い建物が軒を連ねる通り、スラムのような密集地、そして長年の戦 争で破壊し尽くされた旧市街地が広がっている。こんなに大きな街だとは思わなかった、ジャララバードのよう な田舎とはわけが違う。かつてドイツの援助でできたと言うカブール川の本流に敷設された水力発電ダムは現在 も稼動しており、カブールの街には電気が供給されている。おかげで、ほぼ10日ぶりにお湯のシャワーを浴び ることができた。
◆ 午前中、上住さんはOMARのプログラムの一つである、女性を対象にした地雷回避教育の現場を見に、自分は 計画省と外務省に団体登録の手続きをしにそれぞれ出かける。まず計画省にいったところ、「先に、外務省で手 続きを済ませ、承認のレターを持ってくるように」と言われた。そこで、その足で外務省に移動、欧風のホテル を思わせるような瀟洒な建物である。担当者に面会を申し込み、待つこと1時間、ようやく部屋に通される。 先客のドイツのNGOスタッフが何やら文句を言っている。来るたびに必要な書類が増えているようで、もうい い加減にしてくれと言う感じらしい。 確かに、スタンダードがないようでややこしい。取り合えず自分が用意した書類だけでは足りないようなので、 申請書等の必要書類の書式をもらい、説明だけ聞いて退散。英語の書類だけではだめで、全てパシュトゥー語に 訳さなければならない。今回の滞在中にはできそうもないので、英語の書類だけそろえ、後はOMARのアドミ ニストレーターに任すことにした。 実はもう一つ問題がある。我々のビザである。現在のアフガニスタンでは空路カブールから入国する者に、「エ ントリー・ビザ」を発給し、その後出国前に外務省の窓口で「exit・ビザ」をもらって出ると言うややこし いことになっている。我々の場合、ペシャワールから陸路、トルカム国境から入国したので、パスポートには、 パキスタンの「出国」スタンプしかなく、まさに不法入国中の身である。ちょっとまずいのでファゼルに相談し、 空港の入国手続きの担当者に話してもらった。その結果、今回はこのままトルカムからパキスタンに出国し、次 回入るときにエントリービザをもらう。そのごジャララバードの役所で6ヶ月のマルチビザをもらうということ になった。という訳で我々は今も不法入国者のままである。 夕方、日本政府の代表部(リエゾンオフィス)に行ってみる。応対した1等書記官の進藤氏はベルリンの大使館 からの派遣とのこと。とりあえず活動の説明をし、ジャララバードにいる旨を伝えた。彼は特に医療関係の草の 根無償案件を発掘するように支持されているらしく、JVCが医療案件で申請中であることを聞き、喜んでいた。
◆ 午前中、カブール郊外のコレジョウズという地区に地雷除去活動の視察に行った。コレジョウズはカブール市街 を囲むなだらかな山間部でヤギや羊の放牧地である。この地域も旧ソ連軍とムジャヒディンの戦闘地となり、多 くの地雷が埋められている。現場に近づくと山の谷間に作業中のOMARとMDC(地雷探査犬センター)の車 両が見えてきた。そのすぐ近くで羊の一群を連れた子供や、薪を集める女性が歩いている。聞けば、そういう人々 の事故が後を絶たないという。 程なく現場に到着。見ると、山の斜面にへばり付く様に除去作業をしている。除去チームは医療班も含め24人 で構成されている。リーダーが作業状況の説明をしてくれた。この現場の作業は、2001年5月から始まり、 9月12日から中断、その後今年の2月に活動を再開したという。ここは対人地雷の埋設地域で、これまでに処 理したのは、地雷132個、不発弾97発、そしてその間に集めた榴弾の数は18万個以上になるとのこと。 一通りの説明を聞き、リーダーを先頭に、安全確認済みの印である白い石の間を歩き、作業現場の近くまで足を 進めた。危険ラインである赤石の向こうには、カンボジアでもよく見られる、旧ソ連製のPMNが地表から不気 味な顔を出し、草の陰には、同じく旧ソ連製の仕掛け地雷POMZ2型地雷やMO5という指向性散弾地雷が見え る。地雷の置き場所を目で追うと、ちょうど谷をジクザグに降りるような線となる。遠くの方で注意を呼びかけ る声がし、程なく腹にズシンと爆破音が響いた。作業員が掘り出した地雷を爆破処理したのだ。山の向こう側か らも時折爆音が聞こえてくる。その度に山の斜面に共鳴し、雪崩でもおきそうな音となる。 OMARの作業現場の下方では、MDCが地雷探査犬を使った除去活動をしている。(作業現場は、MAPA(国連 の下部組織である地雷処理計画調整機関)の調整のもとで分担されている。) MDCはアフガン全体で200頭の地雷犬を持っている。種類はジャーマンシェパードとベルジアンシェパード の2種類だ。この現場では、4頭の犬を使って探査作業を進めていた。作業は2頭づつ組みになって進められる。 まず1頭目が縦横約5メートルの空間を、端から少しづつ行き来し、臭いを察知した場所に「おすわり」する。 約20分間で次の犬と交代。次の犬も同様に動き、やはり臭いを察知した場所に「おすわり」する。この2頭の 「おすわり」の場所が一致すれば、そこには地雷がある可能性が高いということで旗を立て、その時点で除去作 業員がその周囲1〜2メートルを探り除去をする。つまり2頭合わせて約40分間で、約5平方メートルの土地 の探査ができる計算になる。それにしてもこれだけの広大な土地の探査作業は半端な仕事ではない。経験豊富な 作業員の根気と、その活動を支える継続的な資金供給が必要である。 夕方、ドイツのメディコ・インターナショナルのトーマスとセバスチャンが来訪。4年ぶりに再開した。 トーマスはICBL産みの親の一人である。夜は、ファゼルも含めPKOへの派兵問題で盛り上がった。 ドイツはISAFに1000人もの兵隊を派遣しているが、トーマスらは反対しているようで、派兵以外の貢献も できるはずだと主張する。しかし、ファゼルをはじめアフガン人の気持ちとしては、ロシア、英国、アメリカの 兵隊は歓迎しないが、ドイツや日本など彼らから見て、「中立的」な国の兵隊は大歓迎という感じだ。明日は、 明石康氏がOMARの事務所に来ると言うことだが、自衛隊の派遣の話がでる可能性が高いので、ファゼルには JVCは自衛隊の派遣に強く反対している旨を伝えた。
◆ 午前9時頃カブールを出発、一路ジャララバードへ。往路と同様、約5時間の悪路を経て、午後2時過ぎにジャ ララバードに戻る。やはりこじんまりした町の方が落ち着く。町に入ると道路沿いに、赤・黒・緑のアフガン国 旗があちこちに掲げられていた、明日ジャララバードにハミド・カルザイ議長が来るとのことだ。この州の知事、 ハジ・カディール氏の兄弟の故・ハク氏の法要?に参加するそうだ。カルザイに会えるということで、町中に歓 迎ムードで盛り上がっていた。自分の聞く限りでは、カルザイは人気者だ。
◆ 16日からの移動診療活動に備え、対象地の一つ、ベースッドの3カ村に出向き、診療活動の事前案内と、設置 場所の簡単な見取り図を作成。午後は、受付から薬出しまでの一連の流れと、登録やカルテの管理方法等につい て長いミーティング。診療と栄養指導講習の時間配分が難しそうだが、診療は毎日できるわけではないので、乳 児が栄養失調にならないための指導をしっかりとやっておく必要がある。これまでの事前視察でも、母乳が出な いと訴える母親が多く、彼女らは薬に頼ろうとする傾向が強い。身の回りの食材で、下痢の時などに脱水症状を 起こさないように対応できる知識を普及する必要がある。 明日ペシャワールから薬と器具が届く予定。
◆ ジャララバードの物価をいくつか書いておく。まず為替レートだが、1ドルは約60ルピー、そして1ルピーは、 約590アフガニーに相当する。かつてのカンボジアのように、10ドルも両替すれば、何十万アフガニーとい う札束を手にすることになる。 基本食品の物価は、常食のナンの値段が5ルピー(約2500アフガニー)、卵も1個5ルピーする。日本円で10円だ。 コメは5kgで250ルピーということなので、日本円にすると1kgあたり100円くらいと言える。 ちなみに、一般的な給料額は月額約3000ルピーから6000ルピー、50ドルから100ドルくらいが相場 のようだ。
◆ 昨日、ペシャワールから薬品と器具が届いた。昨日のうちに薬品棚にならべられた薬品と、検査用具を確認し、 診療活動中の薬品管理と補給システムを詰める。 その後、上住さんはマスード医師らと足りない器具の買い付けに。自分はヒサルシャヒキャンプでの活動の調整 のためIIRO(インターナショナル・イスラミック・リリーフ・オーガニゼーション)の事務所に行く。 午後、明日からの巡回診療に参加することになった、女性医師及び男性医師、そして栄養教育担当者を交えて、 活動の目的の再確認と診療の段取りの打合わせ。夕方、診療車に明日の器具を詰め込み準備完了。 メディコのトーマスとセバスチャンがカブールから移動してきた。一晩うちに泊める。 夕食時、彼らとまたPKOの話になった。ドイツ軍の海外派兵、特に今回はUNの傘の元ではないヨーロッパ以 外への初派兵ということもあり、ドイツでもずいぶんと議論になったようだ。彼らはカブール滞在中、一度ドイ ツ軍の兵舎を訪ねたそうだ。その際、夜間の外出禁止令が出ているにも関わらず、彼らを夜10時過ぎまで引き 止めたそうで、「治安維持という名目で来ていながら、いいかげんなやつらだ」、「たいした用事も無いのにまさ にショービジネスだ」とトーマスは怒っていた。ショービジネスといえば、カブールの高級住宅地に事務所を構 え表通りに大きな看板を掲げる日本のNGOも同じ穴のむじなのような感じがする。彼らはカブール周辺でIDP に対するノンフードアイテムなどの配給をしているが、見るからに(食糧の)生産性の低いカブール周辺に滞留 するIDPに「援助」を続け、都市の人口過密状態の固定化に「貢献」するよりも、小麦や果樹などの食料生産 性のポテンシャルの高いジャララバード周辺住民の健康維持と生活状態をよくすることで、昨年末のように彼ら 自身が避難民を受け入れ、その負担を克服できるよう支援することが優先されるべきである。それができれば、 余計な難民庇護施設(キャンプ化)を作る必要もないし、そうした「現象」を固定化する恐れもなくなると思う。 そういう意味で、現在の取り組みは、単に今現在栄養状態の悪い人々への支援に留まらない建設的な意味を持っ ているように感じている。
◆ 長い準備を終え、いよいよ移動診療活動の開始だ。イード前なのでとりあえず2日間のトライアルということに なる。朝9時12名のスタッフが2台の車に分乗して出発。 メンバー構成は、ドクター(男女各2名)、アシスタントドクター(男1名、薬局兼務)、受付・登録担当1名、 栄養教育担当者(女性1名)、看護婦(上住さん)、ロジスティシャン1名、ドライバー2名+清水。 対象地:ベースード地区、アブディアン村 世帯数:約120(人口約1500)+避難民家庭約40世帯 特 徴:ベースード地区全体に言えることだが、この地域は隣接する山がジャララバード市内を見下ろせる位置 にあるため、戦争中はムジャヒディンの拠点となっていた。そのためソ連軍の攻撃をひどく受けており、 今でも崩れた家屋が散見される。また比較的、街に近いということもあり、昨年の米軍の空爆時には多 くの避難民を受け入れていた。その後空爆が収まった段階で多くの避難者がカブール等に戻ったが、現 在でも40世帯を越える避難民家族を受け入れており、冬明けには再度、帰還難民の中堅地点となるこ とが予想される。 活 動:午前9時、村に到着後、事前に打ち合わせた通り、受付デスクと男女別の診療場所を設定。男性は入り 口正面の建物の中に、女性は塀の奥の庭の休憩スペースに設置した。薬局は移動に使っている救急車を 利用。中で混雑しないよう、敷地の外に駐車し、帰り際に寄れるように配備。 事前にアナウンスしていたせいか、早速患者が集まり始める。自分は最初男性用外来にいたので気がつ かなかったが、裏の女性用外来には小さな赤ん坊を連れた女性でごった返していた。そちらの方では、 まず打合わせ通り、全員に衛生講習を行い、その間にドクターが栄養失調の疑いのある親子を30名程 度選び、栄養士が別枠で栄養補給のための講習を実施、実演用に作った栄養食を子供たちに食べさせる。 栄養失調児に対する補助栄養食の配給は、混乱を避けるため、今回の診療の結果を見て配給対象を決め、 後日個別に渡すことになっている。 その間にドクターは他の人々の診察を始め、最後に栄養講習参加者の診察を終えるという段取りである。 思ったよりも患者が多かったので、最後は早めに診察の終わった男性用外来も開放してさばく。 本日の患者数164名。途中ロバから落下したという少年の運び込まれる一幕もあったがなんとか初日 を乗り切る。 反省点としては、受付を男性用外来の方に用意したため、女性患者の登録がうまく行かなかったこと。 また、一般的な衛生講習と栄養失調児対象の講習の時間配分がうまくいかず、最後に診察が混雑してし まったことなどがあげられる。事務所に戻り、ミーティング。明日は、特に各講習時間の段取りと受付 の方法を改めることにした。 高嶋さんがペシャワールから到着。途中から活動の様子をカメラやビデオに記録してくれた。
◆ 巡回診療活動2日目。 対象村:ベースード・カース村 世帯数:約200世帯(人口約2500人)+避難民家族18世帯 患者数:93名+数十名 特 徴:昨日の村と同様の背景。かつて高校で英語教師をしていたというモハマド・カビール氏は、20年以上 に渡る戦争でこれまで満足な生産活動ができなかったが、「今度こそは平和になりたい」としみじみと 語ってくれた。今は、家族で小麦、カリフラワー、にんじんなどを作って細々と暮らしているとのこと。 活 動:昨日の反省を踏まえ、受付の方法や、女性診療の場所と栄養教育の場所を少し離したことで、混雑を回 避し、スムースに予定をこなすことができた。昨日同様村長は診療活動の告知から当日の場所の提供に 至るまでとても献身的に動いてくれた。アフガニスタンの村は、基本的にはマレックと呼ばれる首長(村 長)と長老会議によって秩序が守られているので、彼らといい関係を作り、協力を得られる限り、活動 はしやすいといえる。「この村ではここ」と、場所も自動的に決まってくる。 この村では、寄生虫や貧血の患者が多く見られた。乳児の体重ははほぼ全員平均以下とのことである。 今日も予想以上に来診者が多かったので、衛生講習後に配る予定だった石鹸の配布は見合わせた。 反省点:体重計の準備が間に合わなかった。乳児用のはかりだけでは限界がある。休み明けには持って行けるよ うに準備する。 昼食後、さらに奥のカライフセイン村まで行く。時間がないので今日は診療だけで退却。2月初めに訪れたとき、 栄養失調で死にそうだった赤ん坊のことが気になっていたが、なんとか間に合った。赤ん坊よりも母親の状態のほうが悪く、カセム医師に診てもらった。 明日からイスラムの祝日、イードの休みである。昨日からのトライアルはまずまずの滑り出しと言えよう。休み明けに、後数日ベースードを回り、栄養失調児への補助栄養食の配給も始める。その後、カマ地区、ヒサルシャヒキャンプへと駒を進めていく予定である。ヒサルシャヒでは、診療とは別途食糧配給の調査を行い、対象者を絞り込んだ後に然るべき量の食糧支援を実施することになるだろう。
以上 |
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