二〇〇一年 四月のお題 「桜花 はな」

アメリカに来て何が一番恋しかったかといえば、桜だ。 私はどうやら桜が好きらしい。

まだ寒いなかでも、枯れ木のような灰色のシルエットに、朝日が射しこんだようにぽっと枝先が染まるのを見つけると、心は躍りだす。土筆を見つけ、たんぽぽを見つけ、石垣にへばりつくように咲く菫を見ると、心がじんじんとした。菜の花畑の向こう、薄紫を溶かし込んだ空に細い二日月が沈むとき、声は出ずただただため息と悲しくもないのに涙が出た。
そして、桜が咲く。桜が咲いているのを見ているだけで、胸がきりきりとなった。お正月のお飾りの下をくぐり一つ齢を重ねるよりも、桜の花を眺めるほうが一年を巡ったという実感があった。何度でも見られるわけではないけれど、今年こうやって見せていただけた、そんな気持ちがまた涙を呼ぶ。そうやって小さいころ、春になると私はよく泣いていた。

アメリカには桜の樹は少ない。しかし、全くないわけではない。

このあたりは三十年ほど前は見渡す限りの果樹園だったというから、今もその名残りが点在している。そこには、真っ赤な実の成るさくらんぼの樹があるが、その花は日本の山桜や染井吉野とは違い、薄っすらと緑のかかった白い花だ。日本に比べれば横に枝を張ることもなく、ただすっと空にばかり伸びている枝ぶりの桜には、やはり桜といっても私の知っている桜ではない。

それでも、よく住宅地を見ていれば一マイルに一本ぐらいの割合で桜の樹に出会える。
このごろは、アメリカでも日本から来た染井吉野の実から新種を作り、「アメリカ」という名前の少し花の色の濃い桜の苗木が増えてきた。しかし、まだまだ風格もなくひょろりとした樹に申し訳程度の花が咲いているのがほとんどだ。
しかし、中には樹齢十五年は経ったかと思われるほどの樹が何本か植わっている。もう五年も住んだ町だから、どの樹が一番早く咲き始めるか、どの樹にはどんな花が咲くかなどとこの頭にだいたい入っている。道の名前で桜を覚えていてもいいのだか、私は気に入った桜に名前をつけている。蕾は紅く開くほどに薄紅になるグラマラスな桜には「楊貴妃」、少し枝垂れて濃い紅色の桜には「春姫」、こちらでは珍しい染井吉野が二本寄り添っているところには「二人静」、近くの公園で夜の街灯に雪のように美しいのは「小夜」。運転していく目的地が違えばそれぞれ違った姫に逢いにゆける。それは、この時期の私の楽しみでもある。

桜がなければ、確かに春はのどかだっただろう。

こんなに気もそぞろに天気を気にすることもなく春を過ごせていただろうが、もし春に桜がなければ、こんなに春を心待ちにすることもなかっただろう。

西行は彼の歌のとおり、花咲く如月の望月に逝ったとか。

春。もうコートを着る必要もなければ、喪服の長袖や襟のネクタイもまだ暑くない季節。
私にさようならを言いに来てくれた人にとって、春ならば帰り道は冬や真夏よりは帰りやすいだろう。夜、波の花を靴の下で踏むにしろ、やはり春は優しくていい。
咲いている花を見ながら、ほんの少し偲んでもらえればいい。
できることなら普段あまり話さなくなってしまった人と、少し話しをしてもらえたら。夫婦でも、親子でも、友達でもいい。
普段はそんな時間に外に出ることのない人が、あたりの風景を見て、春が確かに来たことを感じてもらえたなら。
そういった時間が私をきっかけに誰かに生まれたとしたら、とても素敵なことだと思う。そんな情景の中に、桜が咲いていてくれたら、やはり、嬉しい。
散る花は人を寂しくもするが、優しくもするものだから。

そう、願わくば、春に逝きたい。

二〇〇一年 花見月 吉日
雅世