スキーを初めて履いたのは、小学校6年生のときだった。
皮の靴に竹でできたスキーを紐のようなものでつけた。ストックも竹だった。リフトなんて洒落たものはなかった。板を履いたまま、丘を上がっていく。スキーウェアもなかったので、転べば全身雪まみれになり、体温で雪が溶けて歯の根が合わないほどの寒さで震えた。手袋も、冷たい水がしみてきて、じんじんとしていた。
こければこけたで、派出にこけた。白い雪を舞い上がらせて。
機関車のように白い息を吐き、一瞬滑っては、懸命に丘を登った。雪を踏む音と、はあはあという友達と自分の息の音しか聞こえなかった。
静かなスキーだった。
今年は、家族四人で滑る。
ブーツのつま先を板のバインディングに入れ、体重をのせる。ブーツと板が一体になる心地よい音がする。歩くと、足の下で雪が笑っているのが聞こえる。冷たい風が頬を撫でていく。
次にスキー場に行ったのは、会社に入ってからだった。
ユーミンの音楽や、「私をスキーへつれてって」なんていう映画のおかげで、そのころスキーは流行りのスポーツだった。ガンガンとビートのきいた音楽が鳴り、夜は夜で人が人工の雪を降らせ、照明を燈し、スキーヤーが滑っていた。
昼間、リフトに乗って笹薮に見え隠れする白い雪にウサギの足跡を見つけたとき、涙が浮かんできた。
同じ生き物が、ささやかに生きているこの山を、スキー場に変えてしまっている人間。
聞きたくもない騒音を、垂れ流している人間。
太陽が沈んでからでさえ、晧晧と明かりをつけ、山を眠らせない人間。
確かにスキーは楽しいが、こんな状況が、はたして許されるのか。
カナダやアメリカのスキー場は静かだ。
音楽は一切かかっていない。
それだけで、とても落ち着く。
ゴンドラから、娘と指差す。
あれは、ウサギの足跡?これは、鹿かな?
風が歌うのが聞こえる。
木が歌うのが聞こえる。
雪が笑う。
雪が舞う。
大声を出さなくても、雪の音で娘が、主人が、どこを滑っているかがわかる。
近づく人、遠ざかる人、すべて、雪がその音で知らせてくれる。
木から落ちる雪の音。
大きな木を縫うようにして滑っていく。
鳥が、羽ばたいていく。
空が青い。
自分も風になって駆けぬける。
雪が色を変えていく。
夜明け前は菫色。
朝焼けに照らされて薔薇色になる。
真昼の光を集めたウサギの足跡はコバルトになり、小枝に溜まった雪は薄青に染まる。
黄昏ていくちらちらとした陽のなかで金色になり、光が吸い込まれると濃い紫に変わる。
日本でも、せめて、あの音の垂れ流しはやめてくれないだろうか。
自分が、自然の中の一つの生き物だと感じながら滑ることを、許してもらえないだろうか。
私たちも、この瑠璃色の地球で暮らす小さな生き物なのだから。
ウサギと同じように。
鹿と同じように。
リスと同じように。
天からの恩恵を受け、それをみんなで分けあわなくては。
西暦一九九九年 睦月 吉日
雅世