日溜りの中、紅い半月盆にフルートのシャンパングラスが煌く。羽子板の形をした箸置きに、色とりどりの箸を置いた。少し遅い正月。
今日は、アメリカ人の友達二人と、Wさんご夫妻がいらっしゃる。
アメリカ人の友達に、何やら訳のわからないお節料理を振舞うのが今日の目的。そして、Wさんご夫妻に、ほんの一時でも笑っていただきたいのが、心からの望みだった。
キッチンで用意をしていると、Wさんの旦那様がにこやかに入って来られる。
「あのお、奥さん、ポチ袋、いただけますか?」
私たちの子供への、暖かい配慮だった。
ポチ袋を下げてリビングへ戻ったWさんを中心に、みんな英語で会話をしている。日本のお年玉について、話しているらしい。
笑い声、財布を開けているらしい音。
また、笑い声。
その日は、みなさんよく飲んでくださった。
シャンパンが、面白いように空いていく。
蛸を口にして、まあまあ、食べれると話すアメリカ人女性。
以外だったのは、数の子が美味しいといってもらえたことだった。
しかし、魚の苦手なWさんの旦那様は、数の子や蛸を残して、アメリカ人にからかわれている。
「僕は、ハンバーガーのほうが、いいんですよ」
盛り上がる会話の中、主人がお好み焼きを焼く。
広島風のお好み焼きに、みんなの目が釘付けになる。ひっくり返す直前には、みんなの顔が真剣になる。
なのに、ひっくり返すのに失敗する主人。そこでまた、みんな、笑う。
笑って、緑茶を飲みながら鯛焼きをつまんだ。
「ほら、また、魚ですよ」と言って鯛焼きを出したら、とてもうけたのだ。
お客様がいらして舞いあがっている私たちの子供が、いただいたポチ袋を嬉しそうに手に持って走りまわっている。
どこにでも転がっていそうな、そんな、普通で幸せな光景。
Wさんの奥様が、本当に優しい笑顔で、子供たちの相手をしてくださっている。
数日後、Wさんの旦那様から私の主人に、お礼のメールが届いた。
お節料理を口にしたのは、数年ぶりだったと書かれていた。
Wさんご夫妻の可愛いお嬢さんは、二回目のクリスマスやお正月を迎えることなしに、あの世へ旅だっていった。
生まれたときには、一週間もたないと言われていた。
延命の治療を断って、自宅に戻ることが決まっても、その帰りの自動車の中で事切れるかもしれないと言われていた。
それが、生きて、六回もの手術に耐えながら、生きてきてくれた。
障害が出ると言われても、最後には、医者が驚くことに、障害も出なかった。
泣いていた、笑っていた。座ったし、スプーンを使って自分で食べていた、ハイハイもしたし、立ち上がりもした。
医者が出来ないかもしれないと言ったことを、全部、事も無げに目の前でしてみせてくれた。
そのお嬢さんも素晴らしければ、愛情を傾けて育てていらしたWさんご夫妻も、素晴らしかった。
お嬢さんのお葬式で見せた、明るく前向きにお嬢さんを送ってあげようとしていた態度。泣きたいけれど、涙をこらえて、努めて明るくしていらした表情には、尊敬の気持ちが浮かんだ。
ポチ袋。
そこにも、Wさんの優しさがある。
もしも、できることなら、
数年後、
Wさんご夫妻のお子さんに、ポチ袋を手渡したい。
今日のように、笑いと微笑みで包まれた早春の日差しの中で。
西暦一九九九年 如月 吉日
雅世