アイダホ産の巨大なジャガイモの皮を剥く。にょきりと出た芽を菜切り包丁の角で、親指を使い抉り出す。毒があると教わった。
もう、日本では新じゃがが出まわるころだろうかと、ふと思う。
筍は、終わってしまったのだろうか。山椒の若葉は出ただろうか。蕗はどうだろうかと。
春になると、土の匂いがする。
芽吹く匂い。
その頃になると、食卓には、ちょっと癖のある野菜が並び始める。冬野菜に慣れていた舌には、たまらない刺激になる。その味で、刻々と春が深くなっていくのを感じ取れる。
うど、蕗、菜の花、筍、えんどう豆、新じゃが、山椒の葉、新きゃべつ、新牛蒡。
どれもが若く、その若さ独特の甘味とえぐみを持っている。
昔の八百屋では、旬の野菜しか売っていなかった。
冬場には冬野菜しかなく、春、夏、秋も、季節の野菜しかなかった。
きゅうりやトマトなど、今では一年中ある野菜も、私が幼かったころには、夏しか食べられなかった。
出始めの野菜は高く、出盛りの野菜は安かった。
だからこそ、出盛りの野菜だけが食卓を彩る。
出盛りの、形は悪いが味は良い野菜が、ザルに盛られて八百屋の軒先まで占領している。新聞紙で野菜を包む器用な手が、買い物篭に野菜を入れていく。新聞紙のインクで黒く汚れた指が、威勢良くそろばんを弾く。そんな光景を、迷子にならないようにと母のスカートを握り締めて見ていた。
そんな母は、葉を切り落として茎だけ持って帰る蕗も、人の分の葉まで持って帰った。それを刻んで、佃煮を作ってくれた。これがまた、独特のほろ苦さを持っていて、美味しかった。
魚屋でも、蛍烏賊や、こうなご、きびなごが出てくる。酢味噌をそえたぬたが食べたくなる。
鰆も、鰹も暖かくなるにつれ、大ぶりになっていく。そしてそれとは反対に、今までたくさん出ていた鰤や蜆が少なくなっていく。
私の好物の飯蛸が、卵をもったのも出始める。
果物もそうだった。
苺などは、四月にならないと食べられなかった。
五月、六月になると木箱いっぱいの小粒の苺を買い、母はジャムを作った。
庭の梅の実でジャムを作ったこともある。
どのジャムも、見てくれは悪いが、その果物の持つ甘味や酸味、癖のある旨みも十分にもっていた。お店で買う瓶詰めのものとは、全く香りが違っていた。
日本のパックに入っている野菜は、匂いがない。
苦味も、酸味も、癖もない。
どこか、工場で作られてきたような感じさえする。
そして、季節さえも薄らいでいる。
クリスマスをターゲットにして石油を使って作られている苺には、昔食べたような甘酸っぱさはない。
春が来ると、アメリカでは口にはできない野菜を思い浮かべる。それは、私に季節を告げてくれる、季節の使者だった。
私の子供たちは、そんな季節を少しでも食卓で感じることがあるのだろうか。
アメリカの野菜や果物は、路地ものが多い。苺、トウモロコシ、アーティーチョーク、スクウォッシュなどは、近郊の農場で、地平線まで続く畑で作られている。
私の子供たちは、うどや、生から茹で上げた蕗を食べたことがない。しかし、季節ごとに自然から贈られる、土で育ったアメリカの野菜の甘味は知っている。
きっと彼らにとっての季節の使者は、スーパーで剥き出しになって山積みされている野菜であり、ファーマーズマーケットで買った形の悪いトマトやきゅうりやとうもろこし、もぎたての苺や桃なのだろう。甘さがあると、喜んで食べるピーマンや、ほうれん草が、きっと、季節の香りなのだろう。
彼らに季節の魚を味わせてやることはできないが。
それでもきっと、季節の味を覚えながら、それを季節の使者と感じながら、大人になっていくのだろう。
西暦一九九九年 皐月 吉日
雅世
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