BLUE JAY
我が家の裏庭に、大きな青い鳥が飛んでくる。その名も"Blue jay"、素敵な名前だ。
始めてその鳥を見た時、メーテルリンクの『青い鳥』を思い出した。幸せの鳥、その青い鳥がやって来るのだ。心がウキウキした。何か良いことが、たくさん待ち受けているような気がした。
我が家は角地にあるため、普通の家より庭が広い。私一人では到底面倒を見きれないので、ガーデナーのマイケルさんに来てもらうことになった。マイケルといっても、100%日本人だ。
マイケルさんは日焼けしていて、笑顔がとっても優しい素敵な人である。でも、その笑顔の下には、言い知れないほどの苦労があるように思えた。
マイケルさんに来てもらい始めて数ヶ月経ったある日、世間話しをしていた時だった。
「貴方達は、本当に良い時期にアメリカに来ましたネ」
マイケルさんがガーデナーを始めた35年前、日本人に対する差別がまだまだ蔓延っていたという。
「僕の友達で、スタンフォード大学まで卒業したのに、日本人だって分かってしまって、就職できないまま、ガーデナーやってた男、いましたよ」
私は言葉も無いまま、マイケルさんの悲しそうな瞳を見続けていた。
「お母さんって、大変でしょう。すごく大変な仕事だと思いますよ、奥さん」
裏庭の塀に、Blue jayが止まるのが、目の端に引っ掛かった。
「僕はね、8才の時に、母と別れているんです。だから、お母さんがどんなものなのかわからない、子供もいないから、余計わからないんですよ」
終戦後、マイケルさんのお母さんは、再婚するため、一人で海を渡ったそうだ。そのころの法律で、アメリカに入国できるのは独身の女性だけで、連れ子は置いていかなければならなかったらしい。
義務教育を終えたマイケルさんは、母親のいるアメリカへとやって来た。でも、英語の喋れなかったマイケルさんにとっては、辛い日々の連続だった。
「幽霊のほうがまだまし。だって、英語喋れるでしょ。ここで喋れない人は、馬鹿と同じ」
たくさんの仕事を転々とした。出世を夢見て、色んな企画書や設計図を上司に提出したこともある。人の倍以上、熱心に仕事をした。しかし、英語の喋れる後輩に、次々と抜かれていった。そして、ガーデナーに落ち着いた、そう言ってマイケルさんは笑って見せた。
「流暢に喋れなくっても大丈夫。意味さえ通じればいいんだから」
Blue jayの来る、幸せの降りそうな、そんな町。ここでマイケル少年は、どんな想いで、あの青い鳥を見ていたのだろうか。
今日もBlue jayは、我が家の裏庭に飛んでくる。
1996.6月
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