待つ


 パソコン通信のあるフォーラムで親しくなった女性から、メールを受け取った。
 そこには、彼女は『待つ』というスタンスが好きだと書かれていた。
  『待つ』、それは、相手を信じていないと継続できない行為だ。そして、『待っている』自分の心も信じないと、待てないものだ。
 コルクボードにどのカレンダーを掛けようかと思案しながら、幾つかのカレンダーをぺらぺらとめくっていた。ふと、ある月のある日の所で、目が止まった。キリで突かれたれたような痛みが、心臓を駆け抜ける。そう、この日は、大切な友人が、逝ってしまった日だ。
 友人は、あどけない少女のように無邪気で、同時に、年下の私から見ても、脆くて危なっかしい人だった。
 偶然にも、家が近くで、ゼミも一緒だった。暇な時は、友人は私の車の助手席に座っていた。行く先は私の家だった。私たちはお喋りをしたり、音楽を聞いたり、編み物をした。就職は違う会社だったが、業種は一緒だった。事務所が近くにあったため、 よく通勤電車で一緒になった。飲みにも行ったし、ディスコにも行った。
 そんな友人と、突然連絡が取れなくなってしまった。電話をかけても、友人は留守だという返事だけが返ってきた。同じ業種だけに、風の噂も流れてきた。噂など、どうでもよかった。私は、友人の言葉を聞きたかった。
 ある日、友人から電話があった。隠れて電話をしているのか、小さなくぐもった声だった。
 気の置けないお喋りの後、友人は釘を刺すように言った。「そちらからは連絡しないで。必ず私から連絡するから」と。
 私は待った。友人は約束どおり、電話ができる時には、必ず連絡をよこしてくれた。
 私は友人の話を聞いた。しかし、決して、友人が何処から電話をかけているのか、聞きはしなかった。
 そんな状態が半年ほど続いた後、年末に、また、友人から電話があった。随分体の具合が良くなったから、外出できるので会わないかという誘いだった。丁度その日に、ゼミの新年宴会もあるので、早めに落ち合って先生に会いに行こうという話がまとまった。久しぶりに友人に会えることで、私の心は落着かなかった。
 喫茶店で向かい合った友人は、以前と変わらなかった。良く笑った。私が意識して面白い話しばかりをしたせいもあった。
 ふと話題が途切れた時、友人は私に手首を見せた。そこには、薄っすらと傷痕が真一文字に横切っていた。
 私は心を凍らせ、動揺しないように努めた。
 結婚を約束した恋人に裏切られる、まるでドラマのことのような出来事が、現実に彼女の身に降りかかったらしい。
 私は苦笑した。私も似たような経験をしていた。結婚が決まっていたのに、破談になった経験もある。私はそれを友人に話した。
 驚いていたのは、友人だった。どうやって乗り越えたのかと聞いてきた。親には迷惑を掛けたけれど、自分で納得いくまで答えを探し回ったと、答えた。
「その答えは?」
「自分を大切にできるのは、自分だってこと」
 私は、二つ目の傷を、絶対に手首に作らないことを友人に約束させてから、先生に会うため、二人で電車に乗った。
 次に電話を受け取ったのは、五月だった。
 友人は逢いたいと言ってくれたのだが、出張に出掛ける日と重なっていたため、悪いが会えないと伝えた。それでも、友人は何とかして会おうと言ってくれた。しかし、私は断った。仕事もプライベートも上手くいっていなかった。自分自身、崩壊していきそうな自分を励まして、何とか持ちこたえているという状態だった。友人と会って、友人を見守れるだけの余裕がなかった。
 私は、今度必ず埋め合わせるからと言って、申し出を断った。
 数ヶ月後の熱帯夜、電話が鳴った。別の友人からだった。
 耳に押し当てた冷たい受話器からは、友人の訃報が聞こえてきた。逝ってしまったその日は、五月に私が友人と話してから、数日後のことだった。
 電話を切ってから、私は泣いた。私は、次があると思い、いつものように友人を待っていたつもりだった。でも友人の御家族はそうは思ってくださらなかったのだろう。
 「telあり」システム手帳に書かれた走り書きから、訃報を受け取った今までの時の流れに愕然としながら、また涙は流れ落ち、慟哭へと変わっていった。
 私の中の冷静な自分が、私を責める。
「何もしない不甲斐ない友人。待っているのではなく、友人を見捨てて放っているだけの、氷の心の人間。お前などに、泣く資格などない」
「違う!! 私は待っていた。待つことが、友人にとって、一番いいことだと思い続けて待っていたのだ」
「違うね。自分のことで精一杯で、待つのではなく、何もしなかっただけではないか。時間を作れば、手紙だって書けたのではないのか? どうなんだ?」
 私はうな垂れる。でも、私は、待ち続けていたのだ。
 私の心の葛藤は、今でも続いている。永久ループに嵌まりながら、それでも答えを探し求めながら。
 一つだけ、わかったことがある。死んだ人がどうなるかは判らない。どこへ行くかも判らない。でも、生きて残った人は、二度と死んだ人には会えないということだ。
 友人は今年、幾つになるのだろうか。
 止めよう。母に、死んだ人の歳を数えてはいけないと教わった。安らかな魂の眠りを妨げてはいけないと。
 私にとって『待つ』ことは、辛いことだ。



97/01/09


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