バビロン


  子供の頃、バベルの塔の話を本で読んだことがある。
  昔はたった一つの言語しかこの世にはなかった。人々は自由にその意志を他の民族の人々とも通じ合えた。その頃、バビロンという都が、栄耀栄華を欲しいままにしていたという。人々は奢り高ぶり、ついに人は神をも超える存在になったと、天に届くバベルの塔を建設し始めたのだ。神は怒り、バベルの塔を破壊すると共に、人々から一つだけの言葉を取り上げ、それぞれの民族が互いに理解できなように、違う言語を与えたという。
  アメリカに来て、もし、バベルの塔など作らなければ、人ともっと容易く分かり合えるのにと、臍をかんだ。この国で生きていくには、どうしても英語を喋らなければならない。それ以上に苦しいのは、ネイティブの人達が話す言葉を、理解することだった。簡単な文章でも、早いスピードで喋られると、一体何を言っているのか、まるでわからなかった。
  子供を介して友達もできたが、そのアメリカ人達の輪の中で、私は言いようもないほどの孤独感を味わっていた。
  どうして、バベルの塔なんか作ってしまったんだろう。
  夜遅く帰宅した夫に、バベルの塔の話をした。そして、もし、地球上の人々が同じ言語を話せば、とても素晴らしいことではないかとも。
  彼は、「僕は、そうは思わない」と、私の目を射抜くように見つめて言った。
  違う言語を話すからこそ、風習も、考えも、全く民族によって異なってくる。違うから、面白いのだ。お互いが違うからこそ、お互いを見つめて理解しあうことが、重要なんだと。
  「だから、僕は、違った言語を喋るのは、素敵なことだと思いますね」
  私は、彼の意見に、賛成できなかった。
  アメリカに引っ越してきて、息子の食欲が急速に落ちていた。体重も思うように増えない。お菓子も、あまり喜んで食べなくなっていた。
  公園で、ロシアから来て、アメリカ人の男性と結婚した女性が、息子に茶色いパンのような物を差し出した。彼女の英語は機関銃のように早く、ロシア語訛りがあったが、なんとか聞き取れた。
  「これは、ロシア風ジンジャーブレッド。アメリカのとは、ちょっと違うわ。食べてごらん、ヒロ。さ、試してごらん」
  息子は、ジンジャーブレッドを恐る恐る握り締め、口に近づけた。また、吐き出してしまう、そう私は思った。
  しかし、息子は美味しそうに食べ始めたのだ。そして、一つペロリと食べてしまうと、日本風に両手を重ねて、彼女の前で『お頂戴』をしてみせたのだ。彼女は笑って、もう一欠けら、息子にロシア風ジンジャーブレッドを分けてくれた。
  今まで胸にあった私のしこりが、砂の山のように崩れ去っていく。
  違うことって、素敵なのかもしれない。
  私はただ、違う言語が恐くて、話すのが、聞くのが恐くて、拒否していたんだわ。アメリカ人と違う言葉を話すのは、恥じでも何でもない。私は日本人だから、日本語が一番喋れるだけ。ここでは私は異邦人。でも、みんな私を受け入れてくれている。私がみんなと同じレベルで英語を喋ることを望んでいるわけではない。みんな、私が英語が苦手なことをよく理解してくれている。ただ、同じ母親として、子供と一緒に楽しく過ごそうと思って、私も仲間に入れてくれている。私は、理解し合える手段として、もうちょっと英語が上手くなればいい。焦らずに。そして、アメリカの事を理解して、いつか日本のことも紹介できれば、とっても素敵じゃない。一歩一歩、進んでいけばいいだけ、ただそれだけ。
  「違うことは、素敵かもしれない」そう呟きながら、息子の頬についたパン屑を、手で優しく払ってやった。



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