友に幸あれ
一年ちょっと前、ちょうど今日みたいな、蒼い蒼い空の日。家の近くの公園で子供たちを遊ばせていたら、下の子と同じ年頃の子供を連れた二人の女性から声をかけられた。
それが、スティシーとニーナとの出会い。
彼女たちはLas Madresというプレイグループに入っていて、お互いそれで友達になったという。
アメリカに来て三週間目、友達も親戚もこの土地にいない私に、彼女たちはグループに入らないかと誘ってくれた。
プレイグループは、子供の生まれた年と住んでいる地域によって別れていて、決まった曜日に公園で落ち合って一緒に子供を遊ばせたり、ハロウイーンやイースター、クリスマスの時にみんな集まってパーティーをしたりする、母親たちで運営しているグループだと、スティシーが説明してくれた。
環境に慣れなくて引込み思案になっていた私が、その時、めずらしく即決した。
「ええ、入れてちょうだい!!」
毎週火曜日と金曜日、その月ごとに決めた公園でメンバーと落ち合い、子供どうし遊ばせたり、母親どうしが話しをしたりする輪の中に飛び込んだ。早い会話、理解できないことの自分に対する苛立たしさ、捲き起こる笑い声の中での孤独感。それでも、彼女たちの会話を聞き、少しだけでも話そうと努力をした。
ある日、メンバーの一人からこう言われた。
「マサヨ、スティシーがね、貴方と話しをするのって、楽しいって言ってた」
「えっ、どうして」
「だって、小さい子供が言葉を覚えていくように、マサヨもどんどん言葉を覚えてる。どんどん上手になってるよ。その成長を見てるのが楽しいって」
「ホント?」
「もちろん。私も驚いちゃうことあるよ。大人になって、外国語習うのって大変なのに、よくやってるなって」
「ありがとう」
仲間が優しく見守ってくれていることを感じながら、私は鼻の奥が涙でツーンとするのを感じていた。一人じゃなかったんだ、ずっと。その気持ちが心を温かく満たしていく。
振り仰いだ空は、抜けるように蒼かった。
夏の昼下がり、偶然にスティシーと公園で会った。
公園の中にある大きなガゼボの日陰で、グリフィンとヒロノリが遊ぶのを、ステイシーと私はひんやりとしたコンクリートの上にペタリと座り込みながら見つめていた。
「ねえ、マサヨ、三人目考えてる?」
「やめてよ、もう二人で充分。やっと自分の時間が持てるようになったのに、ちょっと考えられない」
「コウジは?」
「人間三人いることで初めて社会ができるから、もう一人いたっていいじゃない、なんて言うけどね」
「そう、男の人は、いつでも面倒見てるわけじゃないし、食事作るわけじゃないし、簡単に言うのよね」
「そう、そう。で、スティシーは?」
「うん。……私はグリフィンが一人っ子じゃ可哀相だから、もう一人欲しいの。今、四十歳だから、できるだけ早く欲しいんだけどね」
スティシーが微笑みながら続けた。
「マサヨに言おうと思ってたんだけど……プレザントンに、家を買ったの。もうすぐ引っ越すの。落ち着いたら、子作りするつもり」
私は、雷に打たれたような衝撃を感じていた。
やっと作れた友達が、遠くに行ってしまう。大事に育てた何かをもぎ取られてしまうような感覚。私の下手な英語を真剣に聞いてくれたのも、美味しいベーグル屋を教えてくれたのも、安い日本食レストランを教えてくれたのも、スティシーだった。そんな友達が、遠くへ行ってしまうだなんて!!
でも、暗い気持ちが芽生えたのを握り潰すように、私も微笑みながら応えた。
「Good Luck!」
スティシーは引っ越してから落ち着いたと同時に、ニーナと私と子供たちを新しい家に招待してくれた。そこはフリーウェイを小一時間ほど走れば会いに行けるぐらいの距離にあった。
久しぶりに会ったことで、心は喜びで沸き立つようで、自然とスティシーとハングし、キスされていた。娘のミユキも同じようにされ、キャッキャと嬉しそうな声を上げていた。
新しい家の、旦那様がグラインダーをかけ、ステインでピッカピカにしたご自慢のデッキで、おしめをした三人の小さな男の子たちと私の娘は水遊びをし、はしゃぎまわった。ホースから吹き上がる水の雫はクリスタルのように、キラキラしながら芝生へと吸い込まれていく。子供たちの歓声に包まれながら、母親三人は、大きなグラスに氷とレモネードがたっぷり入ったのを楽しみながら、自分たちの近況報告をした。
話しの中で、スティシーが新しい土地で着実に自分の生活を築き上げているのがわかり、私は、何とも言えず嬉しかった。
その日から、時折、三人の家を行き来する生活が始まった。
二月、まだこちらでは雨季の名残の鉛色の雲が空を覆い、いつ冷たい雨が振り出すかわからないようなとても寒い日。ニーナと私はお互いの子供を連れて、スティシーの家に遊びに行った。
「ねえ、マサヨ、アメリカに来て右側通行の道を運転するの、恐かった?」
ニーナの問いかけに、さっくりと答える。
「もちろん」
「あのね、マサヨ、私、イギリスに行くかもしれないの」
そう切り出したスティシーの表情は、いつものとってもポジティブなヤンキー娘の表情とは違っていた。
「初めの一ヶ月だけよ。すぐ、自然と慣れるから、大丈夫」
私はそんなことぐらいしか言えなかった。
ニーナのお母様はドイツの方なので、学生時代、彼女は一年間ドイツで暮らした経験を持っている。そんなニーナがこう言った。
「国が違うと、気候も、習慣も、考え方も全く違うわ。でも、違うってことを体験できるのは、素敵なことだと思う。グリフィンにとっても、そして、あなた自身にとっても。行ってらっしゃいよ。ね、マサヨもそう思うでしょ?」
「そうよ、スティシー。色んな発見が毎日あるわ。それに、イギリスといえば、言葉を勉強する必要はないわけだし、運転なんてすぐ慣れるわよ」
「……そうね」
やっといつものスティシーの笑顔が零れた。
三月末、糸杉が風に吹かれて、お辞儀をするように揺れている。そんな光景をぼんやりと眺めていたとき、電話が鳴った。
「マサヨ、スティシーだけど、元気? あのね、私妊娠したの。それとね、イギリス、行くことに決めたわ。だって、マサヨがやってるんですもの、私もできるわって思ったの。出発? 四月十一日。5ベッドもある家を探してもらったの。イギリスには行ったことないんでしょ? 絶対、来てね!!」
声の調子は、いつもの明るいスティシーだった。
イギリスで暮らしたことのある日本人の友人に、こう聞いたことがある。イギリスでは一日の中に一年がある。それほど天気が変わりやすい。そして、イギリス人は日本人に似ていて、シャイでなかなか友達になるのは大変だ。でも、いったん友達だと認めてくれると、長く付き合える素晴らしい友達になれると。
カリフォルニアの蒼い空が大好きな、太陽のように明るいスティシーは、イギリスをどう思うだろうか。
でも、きっと大丈夫。人の心まで明るくする彼女なら、きっと、大丈夫。
電話を切った後、私はニーナから教わったとおりに、両手の人差し指と中指をクロスさせた。そして目を閉じると、スティシーと彼女の旦那様、グリフィン、そしてまだ生まれていない赤ちゃんのために、深く、深く、祈った。
私が出会えたように、スティシーたちも素敵な友達に、出会えますように。
何もかもが、一家にとってプラスに動きますように。
友に、幸あれ。
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