毎日をバレンタインデーにする魔法教えます




このごろネットサーフィンをしていると、やたらとチョコレートの宣伝が目に入る。ああ、チョコレートを買いに走ったこともあったなと、ちょっと遠い目をしてしまった。

バレンタインデーにだけ、乙女が男性に想いを打ち明けられると私が教わったのは、中学一年生のとき。ちょっとおませな友達が、そんなこともまだ知らないのという表情をしながら話してくれた。その友達は、バレンタインデーの日に手作りクッキーを学校に持ってきて、いつお目当ての先輩にクッキーを渡そうかと教室の前を行ったり来たりしていた。その日は学校で男の子も女の子もとってもそわそわしていて、廊下では黄色い歓声が上がったり、あるいは泣きながらトイレに駆け込む女の子なんかもいた。男の子も、いくつもらったとか、もらえなかったとか、教室の中で盛り上がっていた。

アメリカの学校の中でのバレンタインデーは、私が経験したバレンタインデーほどはドラマティックではないらしい。

子どもたちが小さいころは、クラス全員に小さなカードを渡せるように準備した。そういったカードのセットはマーケットで売っている。だいたいが箱入りで、32枚程度カードが入っている。カードの絵柄は、子どもが見ているテレビの番組のキャラクターや、映画が多い。今年なら、ハリー・ポッター、スクビドゥー、THE POWERPUFF GIRLSなんかがプリントされている。好きな絵柄のカードに自分のサインをして、気が向けばキッスチョコレートなんかをセロハンテープで張り付けて持っていく。

さて、子どもも高学年になってくると、クラス全員にカードやお菓子を配るということもしなくなってくる。そのかわり、本当に親しくしている友達だけに、ちょっと気の利いたカードとキャンディーを渡すということをするようになる。プレゼントもチョコレートやキャンディーのこともあるが、いつも使う文房具も人気が高い。

心ときめかせて異性にプレゼントを贈るケースもあるらしいが、そのほとんどが、男の子が女の子にプレゼントを渡すケースだという。それも、クラスメイトに気付かれないように、そっと、机の中に入れておくのが多いらしい。

後日、日本では律儀にバレンタインデーのお返しをするホワイトデーがある。確か3月14日だったと思うが。アメリカにはそういう日はない。キャンディーをもらったら、もらいっぱなしである。私が経験したようなそわそわとしたバレンタインデーは、アメリカの学校にはないと娘が教えてくれた。 アメリカでのバレンタインデーとは、「私にとってあなたって、とっても大切な人なの。いつまでも仲良くしましょうね」ということを、相手に伝える日なんだということが、だんだんとわかってきた。

さて、アメリカでの大人のバレンタインは、いったいどんなものなのだろう。

バレンタインデーが近づいてくると、ラジオやテレビでは、「バレンタインデーまで、あとほんのわずか。プレゼントを決めませんか?」などという文句の後、チョコレートの詰め合わせや、花束、あるいはジュエリーの宣伝が流れる。アメリカでは、どちらかというと、ステディな関係のカップル間で、男性が女性にプレゼントを贈る日なのだ。クリスマスに続いてまた出費かと思うと、男性陣も頭が痛いだろう。

アメリカ人の既婚女性は、「この日に夫から、バラの一輪、チョコレートのひとかけらもプレゼントがなかったら、離婚よ!」と、冗談半分に言っている。しかし、まんざら嘘でもなさそうだ。私の知っているアメリカ人男性は、まあ、こちらが感心するほどまめに奥さんに”I love you.”を言うし、人目なんて気にせずキスもハグ(抱き合うこと)もする。奥さんの誕生日や結婚記念日には花束を贈ったり、二人だけでデートに出かけたり、惚れ惚れとするほどあっさりとロマンティックなことをする。朝、目が覚めたら愛しいダーリンがバラの花をそえた銀のお盆に朝食を用意してベッドまで持ってきてくれた、なんて話など、私はアメリカに来てからお腹がいっぱいになるほど聞かされた。もちろん、そんなアメリカ人男性がバレンタインデーを無視するわけがない。奥さんのオフィスへカードと花束とチョコレートの詰め合わせのデリバリーをする人もいれば、二人でレストランに出かける人もいるし、ギター片手に奥さんへのラブソングを口ずさむ人もいる。それぞれが、自分なりの方法で、自分の気持ちを伝えようとしている。

しかし、日本人男性と結婚しているアメリカ人の女性からは、「私の誕生日にも、バレンタインデーにも、彼ったらね、花の一本もプレゼントしてくれないの」という愚痴を聞くことがある。「真面目で、よく働く夫のことを悪く言うのは、いけないことだとわかっているけれど」と言いながら、「やっぱり、以前付き合っていたアメリカ人男性と比べてしまうと、ロマンティックなことはしてくれないの」と彼女は続けた。彼女は一輪でもいいから花をプレゼントして欲しいとねだったところ、「花は実用的じゃないよ。だって、食べられないじゃないか」と言われてしまったそうだ。

日本人男性は、イソップ物語のアリかもしれない。地道に働き、糧を、サラリーを、家庭という巣に運んで帰ってくる。日本の男性は、それだけで、消耗しきっているのかもしれない。また、巣に糧を持ち帰ってくるという行為が、最高の愛情表現だと思っているのかもしれない。確かに、その巣で待ち受けている家族がいなくて、どうして黙々と働いていられるのであろうか、その気持ちもわからなくはない。でも、もうちょっと自分の気持ちを相手に伝えてもいいじゃない、という気もするのだ。夫にとっての最高の愛情表現が、それが愛情表現だと妻に伝わっていて、なおかつ納得しているのなら、問題はないのだが。

片や、アメリカ人男性はキリギリスかもしれない。もちろん糧は運んでくるが、生きるために働くのではなく、自分の人生を楽しむための資金作りとして仕事をしているのだと、割り切っている人が多いように思う。だから仕事が終わった後の自分の時間をとても大切にする。仕事が終わっていなくても、定時になればさっさと帰ってしまうほどだ。また、妻に対して、恋をしているときと同じように、ずっとラブソングを歌いつづけているように思える。アメリカ人の男性は、家族が増え、妻が母親になったとしても、一人の愛しい女性として妻にいて欲しいと望んでいるように思う。だからこそ、自分も一人の男性として、結婚した後も恋をしていたときと同じように、自分の気持ちを伝えつづけているだろう。もしかしたら、ラブソングを歌っているふりをしているケースもあるかもしれないが。

でも、女の立場から一つ言わせていただくと、やはり、たまにはロマンティックな出来事をプレゼントして欲しい。釣った魚に餌はやらなくてもいいらしいが、たまに、番狂わせでもいいから、餌を投げ入れていただきたいと思う。たった一輪の花と愛情のこもった一言、それで、雑事で荒れてしまった心が、ほんのりと満たされることがある。そういった嬉しいハプニングはいつまでも覚えている。それは、心の中の手温めになると思うのだ。

そう、その気さえあれば、いつでも、その日をバレンタインデーにすることができる。そんな魔法を、実はみんな隠し持っているのだ。

2003/2/12



このエッセイはInfo Ryomaのコラムに書き下ろしたものです


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