卒業




卒業と聞いて、何を思い浮かべるだろう。ユーミンの『卒業写真』、それともウェディングドレスの彼女をチャペルから奪取する映画の『卒業』、あるいは黒い卒業証書の筒。そういえば、親友と写真館へ行って記念写真を撮ったことも思い出した。でも、今まで、「卒業」という言葉は、自分の卒業と結びついていたことに気が付いた。

この三月、日本語補習校で行われた「卒業式」を自分の娘が経験した。娘は幼稚園の半ばでアメリカに来たので、「卒」がつく日本の行事に出るのは初めてだった。私にとっても、子供の卒業式に出るのは、初めての経験だった。

アメリカの学校でも、小学校を出るときにセレモニーはあった。ただ、格式ばらない形式のものだ。六月の晴れた日に、学校に隣接している公園で生徒たち一人一人に一年間の修了証を渡しただけだった。国家斉唱もない。校長先生からはほんの短いスピーチがあっただけで、セレモニーはすぐに終わった。親のほうも、普段の服装、ジーンズにサンダルという出で立ちで、カメラやビデオを片手に持っているのがいつもと違っているだけだった。その後、公園のピクニックテーブルで、ソーダやポテトチップスなどのスナックを持ち寄ったパーティーをした。ほとんどの子は同じ学区のミドルスクールに通うので、先生も生徒にも涙はなく、からりとしていた。

娘からは、土曜日ごとに通っている日本語補習校で、卒業式の練習をしていることは聞かされていた。自分自身も、卒業証書を校長先生から受け取る練習をした経験がある。卒業式の前は授業などほとんどなく、卒業式の練習ばかりしていたことも思い出した。

「なんだか、卒業式のときには、みんな着替えるみたいよ」と、娘は言う。
制服などないので、子供たちはいつもジーンズにTシャツという格好で、アメリカの学校にも日本語補習校にも通っている。アメリカの学校でのセレモニーでは、娘は普段と同じ服装で出かけていった。ほとんどのクラスメイトも、いつもと変わらない服装をしていた。私自身、そういう服装のコードに慣れてしまっていたので、娘から「着替える」と聞かされたときには、正直驚いた。いきなり「着替える」と言われても、娘に何を着せていいのかわからない。娘は、持っているワンピースを着ていくと、そそくさと勝手に決めてしまった。

卒業式当日、本当に、ここはアメリカであっても日本なのだなと改めて思った。

式に参列する両親の服装が、日本的なのだ。ほとんどの母親が黒いスーツにコサージュ、そして、ブランド物のハンドバッグ。アメリカでは滅多にお目にかかれない格好の女性が、ずらりと並んでいる。父親のほうも、スーツを着て、カメラかビデオを持っている。式場の外で入場を待っている生徒たちも、男の子はスーツかブレザー、女の子はスリップドレスにカーディガン、あるいはチェックのスカートにブレザーという格好をしていた。少年たちが着ているあのブレザーは、また着るチャンスがあるのだろうかと考えながら、娘に服を新調してやらなかったことが、胸にちくりときた。

卒業式は、六年生が一人ずつ入場するところから始まった。卒業生は舞台の裾から現れて、その中央で全員に向けて一礼すると、舞台から降りて自分の席に着席していく。先生や在校生、参列している両親の拍手が暖かくそれを包んでいる。六年前の小さかった我が子のことを思い出すと、ちょっと涙腺が緩みそうになってしまう。体格のいい子は、スーツやワンピースのせいでいつもより大人びて見えた。

卒業証書を教頭先生から受け取る態度も、相当練習をしていたのか、みんなとても堂々としている。その後、生徒たちは各自、三十秒ずつのスピーチをしてくれた。それを聞いている母親の中には、ハンカチを目に押し当てている人もいた。

日本語補習校で、入学式も卒業式も迎えた子は、少数派だ。だいたいが父親の転勤で、3年前後アメリカに滞在し、帰っていく。卒業式のスピーチで、補習校に来てまだ三ヶ月だと話していた少年もいた。

会社は、子供の学校のことまで考慮に入れて転勤を考えてはくれない。だから、今後の進学のことを考えて、秋から冬にかけて母親と一時帰国し私立の中学を受験している子もいる。卒業後、父親をアメリカに残し、母親といっしょに日本に帰国するのだ。また、補習校には中学校もあるのだが、そちらへは来ずに、こちらで開講している日本の進学塾に週二回から三回通うほうに切り替える子供もいる。あるいは、日本語補習校に通いながら塾に通う子もいる。

もちろん、日本語補習校も、塾も、宿題が出る。アメリカの学校からも宿題が出る。アメリカの学校の宿題は、学年が上がるごとに量が増えるだけではなく、レポートなど時間がかかるものが多く出るようになる。こうなると、子供たちは、いろんなところから出た宿題をこなすので精一杯になる。

今、私の娘はアメリカの学校で勉強することが楽しくて仕方がない様子だ。私が口出ししなくても、アメリカの学校の宿題をちゃんとやっていく。時間は相当かかるが、レポートも、楽しそうに作っている。もう、私の英語力のレベルでは到底娘の宿題は手伝えない。

それとは反対に、日本語の能力は確実に伸び悩んでいるのも事実だ。だから余計に日本語の宿題は時間がかかるし、娘もやるのを嫌がっている雰囲気を感じる。いつか日本に帰ることを考えれば、日本語の能力を伸ばし、日本での受験や授業に帰国後すぐに対応するためにも塾に行かせるべきなのだろう。しかし、これ以上何か習い事や塾を入れる時間的余裕はないように思える。こちらで日本語補習校に通っている子供たちは、普通の日はアメリカの学校に通いながら、放課後はアメリカの学校と日本語補習校、二つの学校から出る宿題をこなしながら習い事をし、なおかつ土曜日は朝9時から午後4時まで日本語補習校で授業を受けている。今は懐かしい週休一日でまだ頑張っているのだ。もう、充分じゃないか、そんな気持ちが私の中にはある。

卒業式に、ありあわせのジャケットとスカートで出た私は、ドレスコードも、日本人の親としてどう子供の進学を考えるかも、少しずれてきているのかもしれない。



このエッセイはInfo Ryomaのコラムに書き下ろしたものです


読んだら押してみてくださいね。






もどる