病院
子供が生まれてから良く行くようになった所、それは公園と病院だ。
アメリカに来ても、子供は風邪をひくし熱も出す。やっぱり小児科に走ることになる。
ここで日本と大きく違うのは、まず小児科に電話を掛けて予約することから初めることだろう。
予約の電話では、子供の状態や熱が何度あるか聞いてくれる。ここで、あまり子供の症状が重い場合、受け付けの女性が看護婦と相談して直ぐに来るようにと言ってくれる。反対に、子供の症状は軽いが、その日の予約が一杯だったなら、無理に予約を入れるか、次の日の朝一番にするかどちらにしょうかと聞いてくれる。
予約なんてまどろっこしい! と思われるだろうか?
私も、初めはそう思った。
でも、東京で診てもらっていた先生の場合、診察してもらえるまで三時間も待たなければならなかった。高熱でぐったりしている子供を抱きかかえての三時間は、地獄だ。でも、三時間ならまだ良いほうかもしれない。大学病院は、もっと状況が酷い。朝一番に出掛けても、帰ってくると四時ぐらいになっていた。それを考えれば、予約をして待たずに診察してもらえるほうが、子供にとっても親にとっても負担が軽いように思える。
だからだろうか、日本では待合室の定番商品である長いビニール張りのソファーが、アメリカの個人病院の待合室にはない。ここでは、布張りの一人掛けのソファーが六
脚ほど置いてあるだけだ。
予約の時間に合わせて自動車で病院に向かう。待合室で待たされたとしても、十五分もすれば診察してもらえる。
さて、待合室は白で統一されている。バスケットには絵本が入っている。天井から吊るされたテレビからは、ディズニーのアニメが流れている。
待合室の向こうは、部屋が放射状に七つ並んでいる。先生のプライベート・ルーム、診察室が三つ、検査用の部屋が一つ、ティディー・ベアーの柄のソファーが置いてあ
る部屋が一つ、そしてドアがいつも閉まっている部屋。その中心には観葉植物が飾られ、金魚の泳ぐ水槽がある。注射のアンプルなどが入っている冷蔵庫も置かれている。
看護婦さんに案内されて入った診察室には、ここの小児科医のシンボルマークであるティディ・ベアーの縫いぐるみがドアに飾られている。部屋の中の絵も、ティディ・ベアー。部屋は白で統一されているせいで、明るく感じる。長い布張りのソファーと、診察台が置いてある。金属製の医療器具や、子供が大嫌いな注射器といったたぐいは、一切目に触れるところに置いていない。あるのは、絵本だけ。
看護婦さんが、今までの子供の経過を聞いてメモを取る。診察をスムースにするためなんだろう。看護婦さんが出ていった後は、子供を膝の上に乗せ、先生が来るまで
絵本を読み聞かす。
しばらくすると、先生が診察室に入ってくる。そう、日本と違って、先生が患者の待っている診察室に出向いてくるのだ。
「あれ、ヒロノリ君、今日はどうしたのかな?」
メモにさっと目を通し、具合が悪くなった過程を私から聞きながら、先生は子供の目をじっと見つめている。おでことおでこを合わせてコッツンコをする。
息子はやっと三歳になったばかり。全てのことが理解できるはずもない。ちょっとの恐怖心が芽生えると、直ぐに泣き出す。こんな小さい子供の場合、先生は無理に診察台に載せようとしない。ソファーに座っている私の膝と先生自身の膝を使って、診察してしまうのだ。
「じゃあね、お耳、見ますね。これ、何だか知ってる? 先生の耳、見てごらん」
先生は自分の耳にライトが付いた内視鏡を入れて、子供に覗かせる。
「つぎは、ヒロノリ君の番だよ」
不思議と、こうやって説明しながら診察してもらうと、怖がりの息子も全然泣かないで診察してもらえる。
「泣かなかったね、おりこうさんでした」
先生は、薬の処方箋にボールペンで文字を書いている。
書きながら、子供の現在の症状と、今回出す薬について説明してくれる。抗生物質の種類、その他に出す薬の種類と働き。そして、その薬が甘くて飲みやすいか、苦くて飲ませにくいか、苦くて飲ませにくいとき、何と混ぜて飲ませればよいかまで教えてくれるのだ。先生、きっと、味見してるんだろうね。
診察時間は、十分ぐらいだろうか。日本の流れ作業のような診察とは比べ物にならないぐらい丁寧で長い。質問があれば、こちらが納得するまで説明してくれる。
日本の小児科医の中には、子供に出された抗生物質の種類を尋ねたら、「あなたはそんなこと知らなくってもいいでしょう!!」と怒鳴り返した先生もいる。子供のクランケも、母親も、人間として見ていないのではないかと思ってしまった。もちろん、そんな医者へは二度と行かなかったけれど。
受け付けに戻って、小切手で診察料を支払う。それから、自動車で薬屋へとまた走るのだ。
薬屋には薬剤師がいて、十五分ぐらいで薬を調合してくれる。
子供の飲み薬の場合、液体がほとんどだ。薬瓶とともに、保存の方法と、一日何回どれだけ飲ませるのか説明してくれる。
その単位ときたら、なんとテーブル・スプーンなのだ。一回に1テーブル・スプーン飲ませてください、なんて調子で説明される。
初めは目玉が落っこちそうなほど驚いた。だって、家で使っているスプーンで計ると思ったからだ。そんなことでいいのか!! なんて、一人で怒ってしまった。
でも、それは全くの誤解。すっごく大雑把に聞こえるが、1テーブル・スプーンは5tと決まっている。それに、薬瓶と一緒に、目盛りのついたスポイトかスプーンをくれる。だから家庭でも薬の量はきっちり計れる。そして、そのスポイトやスプーンを使って薬を飲ませるのだ。特に子供が小さいと、スポイトは薬を飲ませやすくてとっても便利だ。
これでだいたいトータルで一時間半あれば、家を出てから薬瓶を抱いて帰宅できる。
早いと思いません?
さて、薬に関してだが、日本で処方されたのは、一回ずつ分包にしてある粉薬か、水薬だった。水薬なんて、プラスティックのボトルに入れてあって、メモリも4種類ぐらいついていた。油性のマジックで目盛りが一個所黒く塗ってあって、そのメモリを使って飲ませるようにと指示される。いざ薬を飲ませようと小皿に薬を入れても、どれだけ入ったのかわからなくて困ったことが何回あったか。
もっと危ないのは、そのキャップだ。子供の手でも簡単に開けられる。だからその甘い水薬を、子供が勝手にキャップを開けて飲み干してしまった話しを何回も聞いている。親がきちんと薬瓶をしまっておかなかったからだと叱られてしまいそうだが、薬瓶のキャップに仕掛けがあったら、そんな事故は起こらなかったもしれない。
こちらの薬のキャップは、大人が手のひらで押して捻らなければ開かないようになっている。日本なら、売薬の子供用シロップによくこのキャップが使われている。こちらなら、薬全般に使われている。コストが嵩むかもしれないけれど、このキャップで、事故を防げるんなら、私は安いものじゃないかと思ってしまう。
でも、こちらの先生のやり方に、一つだけまだ馴染めないことがある。
それは、予防接種だ。
日本なら、ワクチンの種類にもよるが、一回接種してから次の接種まで二週間から四週間開けた。だが、こちらでは、一度に四本も五本も打つのだ。初めてこの事実を告げられたとき、私は卒倒しそうになった。
「あの、熱、出ませんか?」と聞くと、「出るかもしれませんね。出たらモートリン(市販の解熱剤)を飲ませてください」とあっさり言われてしまった。
数週間開けながら接種することも選べたのだが、郷に入れば郷に従えと、私の判断で、えいやーっとばかり一度に注射を打ってもらった。
結果は、子供たちは熱も出さずに元気にしている。
アメリカ人の友人は、そんな予防接種の打ち方は、ここでは普通だと言って、カラカラと笑っていた。……普通ねぇ、納得いかない気持ちが、ちょっぴりまだ胸のあたりにある。
どこの国のどんな先生にかかっても、習慣の違いからか、やっぱり親はなんだかんだと文句を言ってしまうのだろうか。
当分、予防接種を子供が受けるたびに、私は赤くなったり青くなったりしていそうだ。
もどる