新しい学校
アメリカでは、九月の第一月曜日はLabor Dayで土曜日を合わせると三連休になります。それが終わると長かった夏休みもお終い。学校では新学年が始まり、一年生として新しい学校へ行く子供もいます。ドキドキのシーズンですね。
私の二人の子供たちも、新しい学校に通い始めました。
娘は、キンダーガーテンと同じモンテッソーリ系の小学校の一年生になりました。
一年生は12人、でもクラスは縦割りで、一クラス37人の中には、二年生も三年生もいます。3人の先生で、その一クラスを見ています。
驚くのは、授業中の先生の話し声の小さいことでしょうか。日本のように大きな声を張り上げることはありません。先生がお話している時、ちょっとでも話し声が聞こえると、先生はこうおっしゃいます。「誰ですか、話しているのは。話し声が聞こえますよ。」すると、子供たちはピタリと話すのを止めます。見事なほどです。
でも、これだけ子供が先生の言うことを聞くのには、一つ訳があります。
娘が新入生のオリエンテーションを受ける数日前、たくさんの書類の入った封筒が学校から郵送されてきました。緊急時の連絡先やかかりつけの医師の名前を書き込む書類の他に、"Student/Parent Handbook"というのが含まれていました。そして、その1ページ目には書類が挟み込んであり、この小冊子を読んで理解したという了解のためのサインと日付を書く欄が、子供と両親用に用意されていました。
さて、この"Student/Parent Handbook"には、事細かに注意事項が書いてあるのです。
例えば、学校にはおもちゃを持ってくることは禁止されています。人形はもちろん、この頃流行のサイバーペットも駄目だと書かれていました。
もっと驚いたのは、授業中の無駄な私語など授業を妨害する行いに対して、先生が注意しても子供が聞かない場合は、別室で反省をさせられたり、何が悪かったのか作文を書かなければならないということです。その間、子供には休憩時間や昼食時間はありません。もしそれでも反省しないのであれば、下校時間に帰ることも許されません。最悪のケースでは退学に繋がります。その他にもまだまだ、宿題をやってこかなかった場合、煙草やアルコールを飲んだ場合、などと続くのですが、娘は完璧にビビッて泣きはじめてしまいました。
「先生の言うことを良く聞いて、真面目に勉強していたら大丈夫なんだから」、としゃくりあげる娘の背中をさすりながら、やはりここは契約社会なんだと実感しました。
日本では、子供たちは幼稚園の延長で小学校に入ります。その時点で、学校でしてはいけないことなどの注意事項は、両親から教わる程度です。私などは、先生のお話を良く聞いて、勉強していらっしゃいとだけ両親に言われました。残念ながら私の通っていた小学校では、その後、色んな問題が起こりました。買い食い、道草、そのたびに、学校から禁止令が出ます。流行のヘアピン、高価な筆箱、コミック本、どんどん学校へ持ってくることが禁止されていきました。
今でもその体質は変わっていないでしょう。だって土曜日にある日本語補習校では、休憩時間に子供たちが『たまごっち』で遊んでいます。きっと学校側から禁止令が出ない限りは、子供たちは今までどうり、ピーカン照りの青い空の下で俯いて小さな液晶に釘付けになっているのでしょう。
でも、もし自分の娘が小学校にサイバーペットを持っていくと言い出したなら、現地校であれ、補習校であれ、私は反対しますけれど。
さて、話しは変わって、私の息子も元気にプリスクールに通いはじめました。
実は、息子は娘と一緒にサマースクールに通う予定だったのですが、泣きどうしだったのと英語が判らずに先生を煩わせてしまったことで、たった二日でドロップ・アウトしたという経歴を持っています。
サマースクールの時には私自身も緊張していたのですが、今回は、駄目だったらまた次の機会までプリスクールは延ばそうと、ゆったりとした気持ちで学校に向かいました。英語の全く判らない三歳児が、一体どういう反応をプリスクールで見せるのか、ちょっと覗いてやろうという好奇心もありました。
でも、先生は、「言葉が判らないのは問題ありませんよ。さ、お母さんは帰ってください。そうでないと子供は家に帰りたがりますから」、と言って、犬の仔を追い払うように私に手をヒラヒラと振って見せたのです。私は、先生の言葉に従いました。だって、あっちはプロですものね。
その日の正午、息子を迎えに行って、息子がニコニコしながらゲートで私を待っている姿に、正直、安心しました。さっそく抱きしめると後部座席のチャイルドシートに息子を座らせ、家路を急ぎました。先生の話しでは、始め少し泣いたらしいのですが、直ぐに諦めて遊びはじめたそうなのです。まあまあ良い子だったらしいのですが、どうも相変わらず好奇心旺盛で、先生を煩わせたようでした。
まあ、それでも何とか初日をクリアできたという気持ちでホットして、快調に自動車を45マイルで飛ばしていた私の背後から、息子の可愛らしい声が届きました。
"Don't do that !"
これにはちょっと驚きました。先生からさんざん言われたのでしょうか? 初めて覚えた英語がこれだと思うと、先が思いやられてしまいました。
さて、息子が一番始めに入ったクラスは、三歳児から六歳児までの縦割りクラスなのですが、息子自身がまだ英語が理解できないこともあって楽しめないので、二日目からは、二歳児と三歳児対象の小人数のクラスに入れてもらうことができました。そのお陰で、プリスクールに通いはじめて二日目に覚えてきたのは『ABCの歌』で、そのうちに、"Good morning"や"See you tomorrow"も自然と言えるようになってきました。そして、"No"も。次には"Please"をおしえなきゃならないなと考えています。
でも、プリスクールから帰ってきたら、息子にはたくさん日本語で話し掛けて、できるだけ日本語の絵本を読み聞かせています。どうしても、長時間聞いたり話したりする言葉のほうが良く出来るようになるそうです。こちらで生活している年数が長ければ長いほど、英語が子供たちにとって「強い言葉」になり日本語が「弱い言葉」になる傾向があります。しかたのない事なのですが、一生アメリカで暮らすわけでは無い家族にとっては、これは帰国時の大きな問題になるのだと思います。
まあ、何はともあれ、三週間経った今では、息子はプリスクールのゲートで自動車から先生に降ろしてもらうと、「ママ、バイバイ」と言って、小さな手を振りながら建物の中に消えていきます。なんだか、また一歩私から遠ざかったような淋しさを胸に感じながら、家へと向かいます。玄関のドアを開けても、子供のいない家なんて、何だかがらんどうのような気がします。子離れできていないのは、実は私だけだったようです。
たくさん課題はあるけれど、毎日目を輝かせながら帰ってくる二人の子供を抱きしめるとき、小さな幸せを噛み締めている今日この頃の私です。
1997年9月
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