頭にきてそして哀しくなったこと
娘の現地校でのこと。
教室の絵を見ながらゆっくりと歩いていると、突然誰かにぶつかられた。思いがけない衝突に、よろよろと私は床にへたりこんでしまった。
目の前に飛び込んできたのは、鳶色の瞳。すまなさそうな色を湛えている。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
私にぶつかったのは小学校三年生のトレバー君だった。背が高く、身長150cmの私よりもまだ高い。体重も、私よりあるだろう。
「大丈夫、気にしないでね」
そう言いながら立ち上がろうとすると、トレバー君は私を助け起こしてくれた。そして、もう一度、「ごめんなさい」と言ってくれた。
アメリカ人の子供が、こういったアクシデントに見舞われた場合、私の知っているかぎりでは、白人系の子供はすぐに、"Excuse me"と言う。たとえ公園で、三歳ぐらいの子供が私に軽くぶつかったとしても、その子はすぐにこの一言を言っている。
だが、同じアメリカ人でも、ぶつかろうが何も言わない子供たちもいることは確かだ。
以前、San Joseにある公園に行ったことがある。パーティーでもやっていたのだろうかヒスパニック系の子供たちがたくさん公園で遊んでいた。
その当時二歳だった私の息子にぶつかろうが、滑り台で私に蹴りを入れようが、いっこうにお構いなしで遊んでいる。その無視の見事なことには、もう脱帽だった。
子供がそうなら、親もそんな光景を見ていようが自分の子供を注意することはない。
"Excuse me"と言うような子供の親は、自分の子供が他人に対して迷惑をかけているとわかると、血相を変えて飛んでくる。その子供がどんなに小さくても、必ず謝らせる。その子供が悪いケースはもちろん、故意ではないアクシデントのときもそうだ。
さて、娘が週一回通っている日本語補習校でのことだ。
娘はまだ小学校二年生なので、授業は午前中だけで終わる。しかし、三年生以上は午後も授業があるため、教室の外でお弁当を食べていた。どうして野外で昼食を取るかというと、教室を現地の学校から借用しているので、汚してはいけないという配慮からだ。
昼食を食べている子供たちの表情は明るい。弾けるように笑う声と、大きな声で叫ぶ日本語が聞こえる。アメリカの子供たちが遊んでいる時間に、こうやって勉強しているのだから、大したものなのだ。
そのとき、ドスンとぶつかられた。
突然だったが、反対側にいる小さな息子にぶつかられなくてよかったと思いながら、顔を上げた。
真っ黒に日焼けした、スモウレスラーみたいな少年が視界に飛び込んできた。この少年がぶつかったのだろう。
私は、少年の言葉を待っていた。
たった一言を待っていた。
しかし、彼は何も無かったように私に背を向けると、ベンチの脇に立っていた隣の少年に、「いたいじゃんかよ」と文句を言い始めたのだ。
私の頭に、血がガンガンと昇っていく。でも、ここは冷静にならなければと理性をコントロールしながら、その少年に話し掛けた。
「ねえ、君。そう、君。(リトルスモウレスラーは、自分が何をしたんだという顔で私を見ている)あのね、人にぶつかったとき、何て言うか知ってる?」
「こいつがキックしたからぶつかったんだよー」
彼の指先には、ベンチの脇で立っていた東洋系と白人とのハーフだろう少年がいた。
「僕、何にもしてないよ」とスモウレスラー。
ハーフの少年は、私にぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい、僕がキックしたから。悪かったです」
少年の回りにいた友達たちも、ハーフの少年を指差して 「お前が悪い!」と連呼している。
「そういうことじゃないよ、君。理由はともかく、私にぶつかったのは君なんだから、君が『ごめんなさい』と言うのが筋なんじゃないかな」
スモウレスラーは、むっつりした顔をしてこう言い捨てた。
「何にも悪い事してないじゃん」
少年の友達たちが、またはやし立てる。
「そうだよ、悪いのはこいつだよ」
小さな人差し指が、全部ハーフの少年に突き刺さっていた。
いたたまれなくなった。ハーフの少年だけが悪いわけじゃないのに。
「今度、こんなことがあったら、ごめんなさいって言うんだよ」
そう言い残して、その場を後にした。
始めは血が上ってカッカとしていた頭から血の気が失せ、なんだかとても哀しい気分になった。
アメリカ人から言わせると、日本人は、礼儀正しく慎み深いという。
しかし、主人の会社の秘書の人から、「日本からの出張者は「ありがとう」の一言も満足に言えない」、という言葉を聞いたことがある。何か問題が起こって秘書の人が自分の責任外の仕事をしたとしよう。たとえば、宿泊先のホテルやレンタカーでのトラブルの解決などだ。しかし、出張者はその善意を当たり前と受け取って、「ありがとう」の一言すら言わないでいるのだ。
アメリカじゃ、労働者は、書類に書かれている仕事以外はしなくてもいいことになっている。でも、相手が困っているからと差し伸べた手に対して、『ありがとう』と言うのは、国が違っても文化が違っても、当たり前のことなんじゃないかと思う。
経済大国日本だって。心が無きゃ、そんなもの何にもならないよ。
日本人は、これじゃ世界に出てもまだ蔑まれるかもしれないなと、そんな思いが哀しい心に浮かんできた。
1998/7/17
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