8月15日


 また今年もやってくる。8月15日が。
 日本では、終戦記念日と言っている。しかし、私の父と母は、敗戦記念日だと言っている。
 第二次世界大戦、この日でやっと日本は降伏した。この日まで、母は女学生だったが、勉強などせずに天秤に土を入れたのを担いで、空港を作っていたという。父は、空襲で焼けこげ異臭を放つ遺体をすり抜け爆弾の雨を避けながら、学校へ通っていたという。しかし、二人とも戦争についてはあまり語らない。もう二度と、あんな思いは自分たちの子供にはさせたくないとは言うが、それ以上は語ってくれない。
 私に、兵士としての戦争体験を話してくれたのは、近くに住んでいた「おっちゃん」だった。
 おっちゃんは、国民学校を卒業し、めでたく徴兵試験にもパスし、陸軍の一等兵として中国へ行ったという。
「たとえばやな、上官が、おなごの胎の中で、赤子がどうなってるんか見たい言うやろ、そしたらな、中国人のお腹の大きいおなごを何人かつれてきて、目の前で腹を裂いたんやで。やらなな、わしがやられるさかいな。戦はな、人を狂わすんやで。あんたぐらいの女の子も斬った。わしは、もう、地獄へしか行かれへんな。」
 小学生の私にそう告白するおっちゃんの目は、哀しみで、暗かった。
 ちょうどそのころ、学校が薦める年鑑を父が買ってくれた。『少年朝日年鑑』だったとおぼろげに記憶している。
 私の小学生のころ、ヴェトナム戦争がまだ続いていた。そして、フラワーチャイルドといわれるヒッピーたちが、アメリカで反戦運動をしていた。
 年鑑の最初の写真は、残虐なヴェトナム戦争の写真で始まっていた。
 炎で焼かれ、裸で逃げ惑う、私と同年輩の少女。ナパーム弾でぐちゃぐちゃになり、かろうじて残った目が空をうつろに見上げている男性らしき遺体。
 同じ人間が、同じ地球で、同じ時間を生きていた間に、こうやって無残に殺されていることに、怒りを感じた。怒りが涙になった。
 しかし、その年鑑には、第二次世界大戦で日本軍が行った大虐殺のことも触れていた。
 南京で、まるでお祭りのランタンのように首がぶら下げられている写真。シンガポールで、プールの中に母親や幼児をつめこみ、石油をかけて燃やしたこと。
 怒りが、恥ずかしさに変わった。日本人の先輩が、これをやったのだ。私は、その日本人なのだと、胸が、潰れる思いだった。
 人は、争い続けている。紀元前の昔から、人は自分と違う民族、宗教、考えの人と対立し、戦い、殺戮し続けている。
 相手を怨むことは簡単だ。恨み、報復する。そして、それが何世代にもわたって継続されていく。パレスチナとイスラエルを見れば、それがよくわかるだろう。
 でも、いつかその恨みを越えて、深く自分の行為を反省し、謝罪し、許し合う日を持たなければいけないのではないかと思う。
 今の日本では、第二次世界大戦で日本軍が行ったことを、学校では学習しない。教科書にも載っていない。政府自体も、慰安婦問題をひた隠しにしてきたように、そのころの事実には、蓋をしてしまおうとしている。
 今まで、自分たちが何をしてきたか、子供たちに教えないで、何が教育だと思う。そんな子供たちに、諸外国とのまともな外交などできるはずがないではないか。
 ドイツでは、中学生や高校生に、アウシュビッツのことを勉強させている。自分たちドイツ国民が何をしてきたのか、その現実を見せている。また、トルコからの出稼ぎ労働者に対して、最右翼のスキンヘッドグループが暴挙に出たときも、官民こぞってその行動を批判し、厳しい罰を彼等に与えている。
 同じ敗戦国の日本はどうだ。
 歴史は繰り返されるという。
 だからこそ、歴史を振り返り、もう一度同じ過ちを犯さないようにしなければならないのではないか。そして、子供たちに歴史を教え、真摯にそれを考えさせることは、未来の日本人にとっても、諸外国にとっても、きっと良い方向へ導いてくれるのではないか。
 それがないからこそ、アジアの国は、いつかまた日本が軍事大国へ戻ってしまうとの懸念を拭い去れない。日本人は、自分がわかっていないから、アメリカの後を付いてまわるような外交しかできない。
 人と付合うためには、まず自分を知らないと駄目だ。
 今、日本に一番欠けているのは、そこではないだろうか。

1998/8/7






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