病院 U


 人間として、扱われていないのではないかと思った。それは、娘を出産したときのことだ。
 出産を終え、娘は新生児室へと連れていかれた。
 私は、病院で支給された病人用の衣服を剥ぎとられ、分娩台の横にあるベッドに横になっていた。ビニール張りのベッドの上で、全裸で寝かされていたのだ。12月、暖房がきいているとはいえ、出血もしていることから全身が震える。その場には、看護婦が一人。毛布を掛けて欲しいと頼んだが、「出産後の経過を見ているので一時間はそのままで」と、突っぱねられた。
 夫婦以外の他人の前で、晧晧とした照明の下である。恥ずかしいと思わない女性はいないだろう。
 息子を出産したのも同じ病院だった。また、あの屈辱が待っていると覚悟していたのだが、経営者が変わっていたため、分娩後は直ぐにネグリジェを看護婦さんが着せてくれて、お祝いの言葉とともに病室に戻った。
 この違いは、私にとっては大きかった。
 娘の出産では、母になった喜びよりも、先に屈辱が頭の中を一杯にしていた。今でも、理不尽な扱いだったと思う。息子の出産では、看護婦さんの祝福の言葉で、本当に辛い仕事を良く乗り切ったと、疲れたが幸福にどっぷりと酔いしれた。

 異常がなければ出産など、病気ではないとよく言われる。しかし、そんな出産ですら、やはり患者は精神的にとても尖った状態になってしまうものだ。

 主人は、アメリカに来て二度も手術を受けている。
 一度目は、指の骨へ腰骨を移植した。もう一度はヘルニアだった。
 アメリカの医者は、大きな大学病院以外は自分の手術室を持っていない。手術専用のセンターがあり、そこの部屋を予約して手術が行われる。その部屋には、もちろん手術に必要な器具一式と、麻酔医、先生をサポートするナースまでがいる仕組みになっている。後は、執刀する先生と、患者がいればいつでも手術が開始できるわけだ。
 手術の台は、どんなケースでも使えるように、組み立て式になっている。体を乗せる小さな台に、手足を乗せる台を必要によって付足していくのだ。
 全ての手術室にいる人間は、自分のこれからの仕事のために慌ただしく手術室で準備をしている。それぞれの顔には、緊張感も見られる。
 しかし、一番緊張し、慄いているのは、これからメスを入れられる患者だろう。
 主人も、緊張していたに違いない。場所も場所だし、回りは全て英語だ。手術の承諾書から、アレルギーや麻酔の説明も、全部英語なのだから。
 一度目の手術のときは、一人のナースが仕事を中断して主人の手術台の側に座った。そして、主人の手を優しく握ってくれたのだという。
「大丈夫、上手くいくから。心配しないでね。」
 この時、主人は人に手を握られ側にいてもらえることが、どれほど心安らぐか気づいたと言っている。張り詰めていた気持ちが柔らかくなり、安堵の気持ちが冷たい心の底から、シャボン玉のように沸き上がったという。
 二度目の手術のときも、ナースがやってきて、麻酔の点滴が始まって意識がなくなるまで、主人の腕に手を優しく置いていてくれたという。
 その後は、麻酔で何も覚えてはいないらしい。

 主人が二度目の手術を受けた病院では、医者や看護婦以外の人が手術室に入っていった。
 80才を越えたおばあさんだったりする。
 そのおばあさんは、ボランティアだった。手術を受ける人の手を握り、優しく話し掛けるというボランティアなのだ。
 実際、こうした人に手を握ってもらった患者は、血圧が安定し、出血量も抑えられる。そのため、患者の術後の経過も良いというのだ。

 こうしたお年を召した方のボランティアは、他にもある。
 たとえば、障害や病気を持って生まれてきた赤ちゃんをあやすボランティアなどがそうだ。
 状態の程度によっては、赤ちゃんの退院は許されない。しかし、赤ちゃんの親が共働きなどで、なかなか面会にも行けない場合、その赤ちゃんは抱かれたり、話しかけられたりという赤ちゃんにとって大切なスキンシップの時間が無くなってしまう。かといって、それを全て看護婦だけでカバーするのは無理な話しである。だから、そこを、ボランティアの人が補うのだ。
 このボランティアはとても人気があって、登録しても、赤ちゃんをあやすまでかなり待たされるそうだ。それでも、登録者数は、どんどん増えているそうだ。
 病院にボランティアで来たおじいさんおばあさんは、もう、この世の宝物を手に入れたように赤ちゃんを大事に抱きしめ、話し掛けたり、童謡を歌うのだという。

 スイスでは、こんなボランティアがある。
 臨終のときに立ち会う、ボランティアだ。
 資格は50才以上、家庭を持ち、誰からも信頼されている人、が、最低の条件なのだ。この条件に合い、なおかつ、「死」や「生」についての講義を短くて1年半から2年受けないと、ボランティアとして活動する資格がもらえない。
 そのボランティア活動の内容は、患者を見舞い、もしも患者が臨終のときには、その家族とともに、その場にいるのである。
 ただいるのか?
 そう。ただそこにいて、残された家族の手を握り、悲しみと時間を共有するのだ。
 だからこそ、若い人には勤まらない。今まで人生の喜びも、苦しみも味わってきた人のみが、できるボランティアなのである。

 日本では、ボランティアといえば若い人の専売特許のような気がする。
 でも、お年を召した方でもできるボランティア、お年を召した方でなければできないボランティアもあると思う。
 自分の存在が、誰かの役にたち、誰かに自分が求められているとしたら、それは素晴らしいことではないかと思う。また、看護婦不足だと頭を抱えているところに、このような善意のパワーを注げば、一つの解決策になるのではないだろうか。

1998/8/26






もどる