君の心へ

「しゃぼんだま とんだ やねまでとんだ」
 後ろの座席で息子が可愛いボーイソプラノで歌い出す。娘も、寄り添うようにその声に声をあわせる。ハンドルを握る私も、優しい声で二人のメロディーに唄をのせる。
 歌い終わると、娘は知ったかぶりをして弟に説明しだす。
「あのね、この歌詞を作った人はね……」

 とあるコーラスグループに入るには、テストがあった。私が小学校二年生のとき。
 私は課題曲の中から、「しゃぼんだま」を選んでいた。
 通っていた小学校の音楽の先生は、その試験にむけて私を含め8人ほどの生徒を特訓していた。その先生は、サビの部分、つまり「かぜかぜ ふくな」は、フォルテッシモで元気に歌うように私に指導した。
 変だと感じた。
 子ども心に、ここは悲しさが胸にありながら、叶えられない願いごとをするような気持ちで、滑らかにメゾフォルテで歌うべきだと思ったからだった。
 先生の前では、元気よく弾けるようにフォルテッシモで歌った。しかし、試験会場では自分の思ったとおりに歌った。

 数年後、テレビの教育番組で、ある音楽家が、ここはやさしくメゾピアノで歌うべきだと子どもたちに指導しているのを見た。
 風が止むように祈る気持ちで。

 子どもを出産した後だろうか、野口雨情についての資料を読んだことがある。
 そこには、彼が作詞した「しゃぼんだま」が生まれたときのことが書かれていた。
 この詩は、彼の小さな赤ん坊が身罷ったときに作られた詩なのだ。それを思うと、「しゃぼんだま きえた とばずに きえた」の部分が、どれだけ切ないか、感情の波が押し寄せた。
 腹式呼吸で、円く空気を吸い込み、優しく歌ってみた。

しゃぼんだま きえた
とばずに きえた
うまれてすぐに
とばずに きえた
かぜかぜ ふくな
しゃぼんだま とばそ

 声が涙で震えた。
 雨情の気持ちが、入り込んでいくように。

 いつか子どもが大きくなったら、この話しをしてやろうと思っていた。
 娘の心には、今でも深くとどまっているようだ。

 人の創り出す作品は、素晴らしい。心に感動の風を送り込んでくれる。
 そこに、少しだけでも予備知識が加われば、解釈が変わることもあるだろう。より、共鳴することもあるだろう。
 そんな心のプレゼントを、私は君たちに送りたい。

 そのために、私はここにいるのだから。


1998/10/29




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