朝起きてみると、花瓶の薔薇が二本、頭をうな垂れている。
慌てて薔薇を取り出し、水きりをする。鋭い鋏で茎を斜めに切り、その切り口を焼く。そして新しい水の入った別の花瓶に生けてやる。
家事をこなす合間に、ふと薔薇を見ると、水きりが成功したのか、すっくりと天を向いて微笑んでいた。
よかったと、また、薔薇を背に家事に戻る。
向田邦子さんのエッセイにも、萎れた薔薇の話があった。
店じまいする花屋からごっそりと薔薇を持ちかえり、湯船に水を張って夜中に一人で水切りをしたというものだ。萎れてゴミになる運命だった薔薇は命を吹き返し、浴室は薔薇の香りで満たされる。しかし、薔薇に湯船を占領されてしまい、向田さんはお風呂を使えなかったと記憶している。
私には、それは、花の埋葬のように思えた。理由はわからない。
そんな記憶の片鱗が、洗濯物をたたむ頭を掠めていく。花は美しい。
とくに、萎れてしまう花は。
どんなに美しくても、人間が作った萎れない花は、嫌いだ。たとえ、花びらが全てルビーでできた花と萎れてしまう花を差し出されても、私は、生きている花を選ぶだろう。親友のお母様から、こう言われたことがある。
「あなたは、蘭の花。いるだけで周りが明るくなるから。これって、天性のものね。」
うれしい言葉だった。
今ではどうだろうかと、ふとタオルを片付けながら洗面所の鏡を覗きこむ。
萎れてきたかと思いながら、自分に微笑む。
やはり、ちょっと傲慢だったあの頃に比べると、表情が変わってきているのがわかる。
今は、もう蘭ではなく、私も紅いのよと叫ぶ、吾亦紅ぐらいだろうか。
紅が赤でないのが、また、切ないような気持ちを掻きたてる。薔薇というと、思い出す人がいる。
同じバンドでドラムを叩いていた青年のお母様。
イギリス人とのハーフだと聞いていた。お父様は六甲山ホテルの設立者で、銅像もホテルの裏にあるとお話ししてくださった。大柄で、美人で、よく気がつく方。三人の子供の母親で、働く女性でもある方。始めてお会いしたときから、この方は、薔薇だと思った。
私がバンドを辞めてからも、ときどき電話をくださった。
実家の近くで天災が起こったときも、いち早く電話を入れてくださった。
その張りのある声、その心遣い、見習いたいと思う、そんな薔薇の君だった。神戸に震災が襲い掛かったとき、一ヶ月ほど経ってからやっとその薔薇の叔母様と連絡がとれた。
「入退院を繰り返しているのよ。」
その声は、以前ほどの張りはなかった。
しかし、自分が天災に遭っていながら、逆に私の幼い子供たちの様子を聞き、子育ての大変さに相槌を打ってくださる。その心遣いは、全く変わっていなかった。
「もうね、今はお会いできないほど、萎れてしまったの。」
その言葉に、胸が詰まった
言ってしまおうか、それとも、そのまま何も言わずにおこうかと相当迷った。
しかし、緊張で受話器を握る手に汗をじっとりと感じながら、私は告白した。
「私にとって、叔母様は、いつまでも美しい薔薇の花ですわ。」そう、やはり、薔薇は薔薇なのだ、私にとっては。
1998/12/12