もの喜び


 子供のころ、来客の多い環境で私は育った。
 お客様はだいたいお土産を持っていらしてくださる。子供だった私も、応接間や座敷に通られたお客様にご挨拶をし、頂いたお土産のお礼を言うことを、父や母から躾られた。
 しかし、不思議なもので、そういったお土産やお中元、お歳暮の品物は、なぜか偏った。きっと流行がそんな世界にもあったのだろう。紅茶、ゼリー、クッキー、スモークサーモンと品物は変わっても、偏ることは変わらなかった。
 まだ、小学校の低学年だっただろうか。カステラをお客様から頂いたことがある。
 もうすでに、納戸として使っている東北向きの部屋には、6箱ものカステラが積んであった。
 「え、また、カステラ」という落胆した私の声に、母は目の前に私を呼びつけ、厳しく叱った。
「どんな思いで、吟味して選んでくださったか。その思いと時間を費やして、持ってきてくださったのだから、そんなことを言ってはいけません。」
 母に諭された後、私はお客様の前で、カステラのお礼を心から言った。

 それからしばらくは、朝ご飯、お八つは、ずっとカステラだった。

 確かに、贈り物は難しい。

 アメリカ人は、誕生日を大切にする。
 パーティーを開いたり、友達同士でも、ちょっとしたプレゼントをあげたりする。
 私も、仲良くしている数人でお金を出し合い、友人にプレゼントを渡したことがある。一人で買うよりも、もっと高価で素敵なプレゼントを贈れるとみんなが思ったからだ。
 好意からプレゼントを探してくれた女性二人は、パロ・アルトのダウンタウンを歩き回り、半日がかりでペンダントを見つけてきてくれた。淡い紫水晶に、銀の流線型がまとわりついているような、ペンダントだった。
「絶対、彼女気に入るわよ」
 探し出してきてくれた友人たちは、頬を紅潮させながら、興奮したように私に囁いた。

 ペンダントを受け取った友人は、その場でとても喜んでくれた。
 そして、その場で、ペンダントをつけてくれた。
 しかし、哀しいことに、その後、一度もそのペンダントをしてくれたのを見たことがない。
 誰もそのことを口にはしないが、私でこれだけ気付いているのだから、ペンダントを探しに行った友人たちは、さぞかし残念な思いをしているのではないかと思う。

 ペンダントを受け取った友人は、こんなことも言っていた。
「クリスマスに、兄弟からいろんなものを貰うけど、ガラクタだと、もう、どうしようもないでしょ。だから、フェイシャルのマッサージ券をもらうの。無駄にならないしね。家も汚れない。マサヨ、フェイシャルに行ったことがないって! それは、恥じよ、女性として。」

 確かに、合理的に考えればそうかもしれない。

 その一件があってから、仲良くしているグループ内での誕生日プレゼントは、フェイシャルか全身のマッサージか、どちらか一つを選ぶようになった。

 子供を連れて日本へ一時帰国したとき、アメリカに帰るためにお土産を買った。錆朱がアクセントになった藍染めの布のかばんを選んだ。
 息子の先生にそのかばんを渡した。なんともいえない笑顔が返ってきた。
 先生は事あるごとに、そのかばんを貰ったことがとても嬉しいといってくれる。そして、実際毎日使ってくれている。一人の先生は、カメラを入れているし、もう一人の先生は、ジムに行くとき用のウォークマンを入れてくれている。そして、私を見かけたときには、そのかばんを、そっと持ち上げてくれる。「使ってるわ、ありがとう」と、言うように。

 裕福になり、品物がいつでも手に入るような環境になると、人は物に対して、感謝の気持ちを持たなくなってしまうのかもしれない。
 でも、やはり、品物は、使われてこそ、品物だと思う。
 引き出しの中にしまい込まれてしまっていては、品物も可愛そうなら、それを作った人、選んでプレゼントした人にも失礼だろう。

   確かに、プレゼントは難しい。

 ラベンダーオイルでの、全身マッサージも気持ちのいいものだ。薄暗い中、リラックスできる時間とマッサージのプレゼント。確かに、気のきいたものだ。
 でも、今度、私の誕生日が来たら、ちょっと友達におねだりしてみようかと思っている。
 友情の証に、銀のペンダントを、探してきてちょうだいな、と。それを見るたびに、もしも私が日本に帰ったとしても、いつでもみんなの優しさを思い出せるから、と。



99/05/04


このエッセイはInfo Ryomaのコラムに書き下ろしたものです



もどる