青い花柄のチャイナと赤いお皿


 英語で磁器のことをチャイナという。中国から渡ってきたから、chinaというらしい。すべすべとした白い肌は、陶器と違った艶やかさが魅力だ。

 アメリカ人にとっても磁器を買い揃えるのは楽しいことのようだ。
 ホワイトハウスでも使われているレノックスや、日本のミカサやノリタケも人気がある。小鉢など使う習慣があまりないので、食器はお皿が中心になる。あと、凝るとすれば数客揃ったティーセットだろうか。

 こんな話しを聞いたことがある。
 株が暴落した世界大恐慌を経験して育ったあるアメリカ人のご婦人が、数年間お金を貯め、夢にまで見た白いチャイナ、それも青い花柄のティーセットをやっとの思いで手に入れたのだそうだ。
 彼女はそれをカップボードの一番上に飾った。嬉しかったのだろう。
 彼女の小さい娘はこう聞いたのだそうだ。
「ねえ、ママ。いつ、そのセットを使うの?」
 ご婦人はこう答えた。
「いつか、ふさわしい時がきたらね。」

 感謝祭が過ぎ、クリスマスも過ぎ、イースターも、ご婦人の子供たちの卒業式、結婚式が過ぎても、ティーセットはカップボードの最上段で、ふさわしい日を待ち続けていたのだそうだ。

 いつしか、ご婦人の娘さんも、そのティーセットをいつ使うのかという質問をしなくなった。それは、永久に使われることがないように思われたから、聞くのが虚しくなったという。

 ご婦人の娘さんがそのカップを手にしたのは、ご婦人のお葬式当日だった。
 ご婦人は、一度もカップを使うことなく、特別の日を待ちながら、癌のために43歳で人生の幕を降ろした。



 あるいは、こんな考えのアメリカ人のご婦人がいる。

 彼女の家には、赤いディナー用のお皿とカップが一組だけある。あとは、食器は白で統一している。

 彼女は、毎日が家族の誰かにとって、特別な日だと考えていた。
 他の人から見れば、たいしたことがないことでも、子供や家族にとっては嬉しい特別な出来事が、なにかしらあると考えていたのだ。
 たとえば、始めて、abcの歌が歌えたとか、野球のチームでレギュラーになれたとか、素晴らしい絵を描いたとか、誰かに親切にしてあげたとか、そんな小さな嬉しいことが出来た誰かのところに、その赤いお皿がくるのだという。

 赤いお皿が来たその日、子供たちはどんな気持ちで食事をしたのだろう。
 きっと、目はキラキラと輝いていたに違いない。
 自分の回りの世界がどうであろうと、母親がしっかり自分たちのことを見ていると、子供たちは実感していただろう。
 そして、赤いお皿を目の前にして食事をした子供は、自分とその家族に誇りを感じたのではないか。

 このご婦人の娘さんが結婚するとき、ご婦人は一つの箱を娘さんに手渡したという。
 プレゼントの箱を受け取った娘さんは、箱を開けてからしばらくは涙で声が出なかったそうだ。

 中に入っていたのは、一組の真新しい赤いお皿とカップだった。  



 器など、ただの器にすぎないかもしれない。しかし、その器を巡って、毎日の生活は営まれ、家族の歴史は刻まれていく。

 ただ言えるのは、特別な器がなくても、普通に過ぎていく毎日は、家族や自分にとっての特別の日にも、なり得るのだ。
 小さな幸せを探そうとする、気持ちさえあれば。



  1999/5/28  





このエッセイはInfo Ryomaのコラムに書き下ろしたものです


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