キルトに綴る想い


 
私の手元には、今、二枚のおくるみがある。
一枚は真冬に生まれる娘のために編んだ、毛糸のおくるみ。そしてもう一枚は新緑の美しい季節に生まれる息子のために作ったキルトのおくるみ。
子供が何人授かろうと、必ずその子に一枚ずつ、おくるみを作ってやろうと思っていた。
それが、裸で生まれてくる赤ちゃんへの、私からのプレゼントであり、大きくなるお腹を見つめながら、一針ごとに母親となる心の準備をしていたのかもしれない。

そんな息子のキルトを、娘の友達の母親が遊びに来てくれたときに、手にとった。
「まあ、マサヨ、今、学校でパッチワークのできる人を探しているのよ」

アメリカの学校では、クリスマスの時期に、子供や親から先生にプレゼントを渡す。
ありきたりの、お店で買えるプレゼントではつまらないので、キルトを作ろうという案が出たのだ。
子供たちは、白い布に、思い思いに絵を書く。
私は、その布とアクセントになる布を縫い合わせていく。つまりこれが、パッチワークだ。縫い合わせた布の大きさは、一人用の掛け布団ぐらいになる。そこに、中綿を入れて、プロの人にキルティングをしてもらうことになった。

いつもは、手で縫っていたパッチワークだが、ミシンで縫った。
全員の絵が、43枚。
配置を考え、縫い合わせていく。
トータルで10時間かかったが、素晴らしいものが出来あがった。

お休みに入る前に、そのキルトを子供たちが先生に手渡した。

先生の、嬉しそうな顔。
緑と金の星で縁取られたそれぞれの絵には、虹や笑顔、馬にユニコーン、ありとあらゆる子供たちからのメッセージが炸裂していた。
先生は、子供たち、一人一人にhugしている。つまり、抱きしめている。
その後、先生は、私に近づいてきた。
「マサヨ、あなたがパッチワークをしてくれたのね」
「ええ、とても、楽しかったわ。よい、休日を」
先生は、私にも、hugをくれた。

パッチワークは、小さなハギレを使い、それを模様にし、大きな布を作り上げていく。
アメリカに渡ってきた女性たちが、こうやってただのハギレを、大きな布に、そして一つの家族の歴史をも、そこに縫いこんでいったのだと思う。
おじいさんの、シャツ。自分のキャラコのスカート、おかあさんのウエディングドレス。そういった着古されたものも、その中に縫いこまれる。
その人がいなくなっても、そこには、思い出が小さな布きれとともに縫いこまれているのだ。縫った人の心とともに。

今、私は、またパッチワークをしようとしている。
今度も、クリスマスまでに間に合うように、プレイグループ、つまり、同い年の子供が集まって遊ぶという趣旨のグループに入っている母親たち数十人で、パッチワークをしようとしている。

今回の理由は、少し哀しい。
プレイグループに入っている女性の旦那さまが、急に身罷られた。
本当に、急だった。

私たちは、彼女の心に安らぎが戻るように、そして、私たちみんなが、彼女の友達だということを伝えるために、パッチワークをし、大きなキルトを作ろうとしている。
布の中には、子供たちの手形を入れようとしている。
彼女だけでなく、残されたご子息と、お嬢さんのためにも。

たった一人、子供たちが寝静まった夜、彼女がどんな気持ちになるだろうかと思うと、涙が出るのを堪えられない。
ただ、そんな夜も、私たちのキルトがそばにあれば。

想いをこめて、小さな布を、パッチワークしようと思っている。


99/11/11





このエッセイはInfo Ryomaのコラムに書き下ろしたものです


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