4月から、きっと心躍らせながらお弁当を持って幼稚園や学校に通い始めた子供たちがいるだろう。
あの蓋を開ける一瞬。今日は何がおかずに入っているのか、わくわくする気持ちは誰でも経験したことがあるはずだ。給食を食べていても、やはり遠足などで食べるお弁当は格別のものだった。
日本人がお弁当といったら、何を思い浮かべるだろうか。
それこそ、母親の数と作った日数分だけのお弁当があると思う。
誰しもが、心に残るお弁当をあの箸箱が鳴る音とともに、心のどこかに仕舞っているに違いない。
私にとってのお弁当の三種の神器は「俵に握った、梅干の入ったお握り」と、「卵焼き」と、「ウィンナー」だった。
卵焼きにはそれほど執着はなかったが、お握りに対する執着は強かった。
私の実家では、ご飯は夜にだけ炊く。炊き上がったご飯は炊飯器に「保温」などというありがたい機能がなかったから、お櫃に移された。だから、お弁当のご飯はほとんどがお握りでない白いご飯だった。
お握りがお弁当に入るのは、遠足など特別な行事のあるとき、わざわざ朝からご飯を炊いてもらった日に限られていたのだ。
だから、遠足でビニールシートの上にちょこんと座り、母の漬けた梅干が鮮やかな赤紫蘇色をしながらお握りの真中を染めているのを、私は大事に食べた。
真っ白な塩の効いたご飯を頬張りながら、最後にその染め上がったご飯を口に入れる。
きっととっても丸い顔をして、私は笑っていたに違いない。
私にとっての一番嬉しいお弁当だ。
それに対して、一番哀しいお弁当を見たのは小学校のときだった。
小学校一年生のとき、麻良君という男の子がクラスメイトにいた。
彼の体は折れそうに細く、がいこつの上に皮を一枚貼りつけたようなありさまだった。
ちょっと喋るとき、もごもごとしたいい方をした。
先生からだったろうか、麻良君の家はお父さんと二人暮しで、彼は家に帰ってからお父さんが帰ってくるまで、洗濯物を畳んだりして家事の手伝いをしているのだということを聞かされた。それだけ彼はみんなより頑張っているという内容だったように思う。
「それでも、好き嫌いするのはいけないことです。何でも、全部食べないといけません」
最後はそんなお話で終わったようにも思う。
麻良君も私も、給食を食べるのが遅かった。
私は好き嫌いはないが、量が食べられない。
麻良君は量も食べられなければ好き嫌いも多かった。
だからこそ、あんなに細かったのだろう。
給食の後の昼休み、みんなが校庭でドッジボールをしているころ、決まって彼と私は味気のないプラスチックのお皿に盛られた給食と格闘していたのだ。
学校が好きだった私にとって、憂鬱な時間は給食だった。
でも、麻良君もいっしょにもそもそと給食を食べているのを見て、私はずっと救われていたのだ。
そんなある日、遠足があった。
もちろんその日はリュックと水筒を持って出かける。
リュックには、いつもは食べられないお菓子が入っている。学校の時間中に大手を振ってお菓子を食べられる日だ。
各自、自分一人が座れるビニールシートに座りお弁当を開く。
きっとこの日も、母は私の大好きな梅干の入ったお握りを持たせてくれたに違いない。
その時、同級生の一角から声が上がった。
なんとその声が言ったかは覚えていないが、私も野次馬のように見に行ったのを覚えている。
麻良君の膝の上にはお寿司屋さんの店名が印刷されている包装紙の上に包丁の入った太巻きが一本、ごろんと転がっていた。
何も言わずにすぐに自分のシートに踵を返した。
彼に、声すらかけることができなかった。
自分の見なれたお弁当箱とお握りのなんと幸せなことか、黒々とした筒のような太巻きの残像が目の裏にちらついた。
私は黙々とお弁当を平らげた。
その後、ときどき、お弁当を持っていく行事があると、担任の先生や優しいクラスメイトの親御さんが彼の分のお弁当を作ってくださったことが数度あった。
折詰めや寿司屋の包装紙で包んでいるお弁当でないとき、私は心の底からほっとしたものだった。
でも、こうやって30年前のお弁当のことを思い出しているうちに、麻良君のお寿司屋のお弁当を可哀想だと感じた私は、母親の作ったお弁当こそ愛情が一杯詰まっているのだと思い込んでいたのではないかと、ふと、感じた。
もしも、私がお弁当を作れない男親だったらどうするだろう。
息子のクラスメイトの母親や担任の先生に頭を下げ、お弁当を作ってもらうことが、はたしてできるだろうか。
遠足の終わった後も、気を遣い、菓子折りの一つも持っていくかもしれない。そして、あの時は世話になったという恩をずっと持ち続けるだろう。
私に、できるだろうか。
私の性格なら、それは絶対に出来ない。
それなら、寿司屋の太巻きを息子に持たせるだろう。
担任の先生や私は、あのお弁当は可哀想だと思った。
しかし、麻良君本人は、いつもと同じようにゆっくりと太巻きを小さなおちょぼ口にぼそぼそと入れていた。
どんなにクラスメイトから「なんでやの?」と質問されても、彼は答えることもなく、喧嘩を売ることもなく、いつもと同じようにゆっくりと食べていた。
きっと、彼にだけは、あの包装紙のお弁当の包みから、父親の愛情が染み出すほど感じられていたのではないかと、この歳になって初めて気が付いた。お粗末な神経である。
お弁当。
親の愛情が詰まったものならば、どの子の顔もまあるく喜びに溢れているのだろう。
2000/05/08