三度目の正直という諺があるが、心理学的にも、それに信憑性があるのだと、学生時代の友人がワインを飲みながら話してくれた。
たとえば、「あなたが異性を選ぶときに、これは外せないという重要なポイントを三つ上げてください」と質問された場合、その三つ目の答えこそが、その人の意識下での本当の気持ちなのだというのだ。
そう解説される前にさくさくと答えた私の外せないポイントは、「知性」と「誇り」、そして、「いきいきとした輝く目」だった。
いっしょに飲んだ彼の答えは、「目」次は「腰」。その後は、彼の名誉のためにも伏せておこうか。
久々に、凄くきらきらした目の男性に出会った。
その男性は、不屈の輝きを目の中に湛えていた。
みなさんも、長野オリンピックで走った義足のランナーのことを、覚えておられるのではないだろうか。
イギリス人の、クリス・ムーン。
彼はイギリスのNGO団体であるHALO TRUST(ヘイロー・トラスト)の一員として、カンボジアやモザンビークで地雷除去作業に従事してきた。
だが、1995年に、モザンビークで地雷事故に遭ってしまう。
そこは、彼と彼の部下たちが地雷除去を行なった後の「安全地帯」であったのにもかかわらず。
しかし、彼はその事故の責任は自分にあるという。
自分は被害者ではなく、本当の被害者はそんな土地でも生きていかなければならない住民だと言いきっている。
地雷で右手と右足を失い、「死んだほうがよほど楽だ」という誘惑に何度も負けそうになったという。
それでも、彼は生きることを選んだ。
そして、義足をつけ、走ることを選んだ。
彼が義足をつけて走ると、やはり義足と膝下の切断面がふれて、大きなビスケットぐらいもある水ぶくれができてしまうらしい。
義足を制御するために、健康な左足への負担はものすごく大きくなる。血豆ができ、爪も浮いてしまうらしい。それでも、彼は一度も自分が出場したマラソンを棄権したことはないのだ。
彼は長野オリンピックの開会式の二日後、箱根から東京まで120キロ、寝ずに夜中も走行するチャリティランを決行した。そのときに伴走した谷川真理さんも、「食べ物をもどすまでになってしまって、「もう、やめたらどうですか?」と聞いても、「僕は絶対に諦めない」と言って最後まで走り通されたんです」と言っていた。
その彼が、もうすぐ日本にまたやってくる。
今度は阿蘇のカルデラ、100キロを走るらしいのだ。
「僕は右の太ももの筋肉に、うまく力を入れられないので、上り坂では足が上がらないのだ。下りではつま先に体重がかかってブレーキがきかず、ぎくしゃくとすごい勢いで走らざるをえない。」
そう、彼は『地雷と聖火』という著書の中で書いている。
今回の阿蘇のカルデラは、そんな彼にとって過酷な条件であるに違いない。
それでも彼は、挑戦する。
なぜ、彼はそうまでして走るのか。
彼の著書の中に、私は答えを見たような気がした。
僕は僕の信じたことを実践し続けてきた。
そしてこれからの目標や夢もまだまだたくさんある。
その一つはもっと早く走りたいということ。
フルマラソンで4時間の壁を破る。これは何年かかっても、必ずやり遂げたい。
そんな「限界」に挑戦する僕の姿を見せることで、基金を募り、地雷を一つでも減らすことができれば、僕の人生は意義があるものだったと思う。
そんな輝く目をした彼のことを、ここアメリカから、そっと応援しようと思っている。
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私の小さなエール、「希望を運ぶMOON」というページを立ち上げました。
もしも、お住まいがお近くの場合は、ぜひ、ランナーのみなさんにエールを送ってみてください。
そして、少しでも興味を持っていただけたなら、講演会のほうにも、お出かけくださいね。
2000/05/16