ひなげし





「ひなげし」というと、何を連想するだろうか。
「丘の上 ヒナゲシの花で」などと歌うと、歳がばれてしまうかもしれない。

昔、戦争の始まる前に、母の住んでいた家の庭にそれは美しい芥子の花が咲いたそうだ。
今まで、そんな美しい花は見たことがなかったと、母は言っていた。
数日後、巡査がやってきて色々調べてから、その芥子を根っこから丁寧に抜いていったという。
もしもまた生えた場合は、すぐ警察に通報するようにとのお達しだったそうだ。

黄金の三角地帯で咲いていたのと、どうやら同じ芥子だったらしい。

私にとっては、芥子というと、お饅頭の求肥にくっついている芥子の種と、ひなげしが頭の中に浮かんでくる。
求肥が大好きで餡子の大嫌いな私にとっては、餡子抜きの求肥と芥子の種を食べるのが嬉しくてしかたなかった。
今でもそうだ。

さて、花のほうの芥子というと、ひなげしを連想する。そして、雛罌粟ではなくどうしても虞美人草と出てきてしまう。
『虞や虞や 汝を如何せん』
漢文の受け持ちだった先生の、紅潮した頬と震える声も聞こえてきそうだ。

古典や漢文の授業はあまり好きではなかった。
点数をとるという点では、苦手だった。
しかし、一つの物語として読むのは、大好きだった。
字面を追い、想像する。その、なんと楽しいことか。

項羽はきっと男前にちがいない。
日本人の判官贔屓が私にも確実に影響している。
彼は、やはり男前でなければならない。劉邦は狸親父でなければならない。

長恨歌の楊貴妃は、餅肌のぽっちゃり美人だっただろうが、項羽の寵姫である虞は、きっとヒナゲシの茎のように細かったにちがいない。細いうなじ。肉のない頤。木目細かな肌に大きく潤んだ瞳。その瞳に涙を溜めて、どこまでもいっしょに連れていってくださいませと項羽の袖にしがみついて懇願する手弱女を、勝手に想像してしまう。

そして、虞美人草といえば、藤尾だ。
彼女の枕屏風には、やはり虞美人草しかないだろう。

私にとってのひなげし、虞美人草は光を吸って影を作る花だ。
吹きすさぶ風に花びらがちぎれそうになっても健気に咲きつづけ、一度開いた花は閉じることはない。
しかし、散り際は、音もなく微かな気配だけを残してはらりと花びらが落ちていく。
そう、どこかの王国の姫君の絹の扇のように、美しいままの花びらが落ちていく。
虞美人草は、私を惹きつける。その中に微量の麻薬を隠し持っているように。

私があの世とやらに足を踏み入れたとき、光をふくんだこの花が、渺渺と咲き乱れているのではないかと思うのだ。


2000/05/22



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