5月17日。何の前触れもなく、それはやってきた。
我が家のパソコンが繋がっているDSLのラインがまたプッチンと切れたのだ。
先月も同じトラブルでPACIFIC BELLのお兄ちゃんがイースターの前日、6時間ぐらいかけてチェックして直してくれたというのに。
それも、金曜日に一人目のお兄ちゃんが来て、自分では手に負えないからと言った。彼は、自分よりスキルのある他のお兄ちゃんにコンタクトをとってくれて、そのお兄ちゃんが土曜日に来て直してくれたのだ。
修理が終わって、マンホールの下にまで潜ってくれていた土曜日のお兄ちゃんは、真っ黒に汚れた顔に汗をしたたらせながら、「リスが回線を噛みきったのが原因でね、今は問題なし、クリアだよ」と言って帰っていった。
それから1ヶ月もたたないうちに、またプッチンなのだ。
私のパソコンはダイヤルアップで繋ぐようになっていない。
メールもネットも、全くお手上げ状態になってしまった。その状態で10日は過ぎたのではないか。
私だって、苦情も言わずに今まできたのではない。
毎日、PACIFIC BELLに電話をしていたのだ。
日本なら、苦情受け付けには人がいる。電話ならその苦情を処理する人が電話口の向こうで待っていてくれる。回線がいっぱいなら、「ただいま電話が混み合っております、後でおかけ直しください」という丁寧なアナウンスまで流してくれたりする。
しかしだ、ここはアメリカ。そんなことはしてくれない。
電話をかける。まず、第一声が、「修理セクションにお電話いただきありがとうございます。英語の対応をお望みの方はボタン1を、スペイン語の対応をお望みの方はボタン2を押してください」と聞いてくる。誰が聞くかというと、機械が聞いてくるのだ。そして、自分の状況にあった数字を電話機から7回ぐらい入力していくのだ。
その途中で、問題のある回線の電話番号を入れ、最後に「ただいま修理のセクションに繋いでおります。お待ちください」となる。
ここで修理のセクションに繋がってから生身の人間が出てきたのは今まで一回だけ。それも深夜の1時にかけたときに出てきただけだった。
この担当の兄ちゃんは、普通の回線だけトーンがあるかチェックしただけで、DSLのチェックは全くしてくれなかった。そのチェックも修理セクションから問題のある回線に電話をかけてチェックする簡単なものだけで、とうとう出向いての修理にまでは結びつかなかった。
さて、話しを先ほどの修理を頼む電話に戻そうか。
何回も電話のボタンを押し、やっと「修理セクションにお繋ぎします」というメッセージが聞こえてくる。
短い音楽が流れた後、「ただいまスタッフは大切な別のお客様をサポートしております。そのままお待ちください」に機械のメッセージが切り替わる。もちろん、ここで何十分ねばっても人間は出てこない。
「他の大切なお客さんだって! じゃ、私は大切じゃないのか、おねいさん!!」と叫びたくなってしまう。
あるいは、「この後短いメッセージをお残しください」というバージョンもあるのだが、メッセージを残しても全く修理に来なかったのである。
確かに私の英語は下手だ。だからといって、メッセージを残しているのに無視するとはあまりではないか。
もう、最低である。
PACIFIC BELLには日本語で受け付けている窓口もある。
そこにかけてみると、「こちらは製品や商品をご紹介するだけのセクションでございます」ときた。
「では、DSLを修理するセクションにお繋ぎいたします」とにこやかな声が聞こえたあと、握った受話器から聞こえたのは、「修理セクションにお電話いただきありがとうございます。英語の対応をお望みの方はボタン1を、スペイン語の対応をお望みの方はボタン2を押してください」だった。
双六の「振りだしに戻る」が最後の最後に出たようなもんである。もう、へなへなと気持ちが萎えてしまった。
さて、私の精神状態がおかしくなるといけないからと、夫は自分のパソコンからモデムを引き抜き、6月1日ごろにダイヤルアップで繋げるようにしてくれた。
もう、あっぱれ我が夫よ状態だった。
椅子に座り、回線を繋ぐ。
「ぎーじじじじぃぃぃ ぴーぃ ごろごろごろごろ」
懐かしいそんな音が聞こえ、見事に回線は繋がった、ように見えた。
しかし事もあろうに、モデムと回線の相性が悪いらしく、1分くらいで、プチン!と無常にも切れてしまうのだ。
メールチェックもできず、ネットサーフィンなどは、絶対に出来ない状況に追い込まれてしまった。
それから後、更新しているではないかと、このエッセイを読んでお思いの方もたくさんいらっしゃるだろう。
画面の前で回線が切れる前にと、FTPのボタンを早撃ちマックのようにマウスで連打している怒った顔の私がいることを想像していただきたい。
一つのHTMLをアップするのに30分もかかったことがある。
しかし、この時期、どうしてもクリス・ムーン関係のホームページをアップしたかった。もう、時間がなかったのだ。
そんな、悲壮な更新だったのだ。
そして、そんな更新の合間を縫って、PACIFIC BELLのホームページを見つけ、DSLの修理セクションのメールアドレスも探し出した。
こうなれば、こっちのものだ、もうすぐ回線は繋がると確信した。
私はそのメールアドレスに、メールを出した。
「わたしの かいせん、 5がつ17にちから ずと、とまってるある。
わたし、なんかいも でんわしたよ しゅうりせくしょんに。
でも、 だれも こない。
わたし ざいたくで しごと する。 このひがい すごいことある。
も、 まてない。 いっこくも はやく くる よろし」
待ちに待った返事は案外すぐにやってきた。
自動返信のシステムで、私のクレーム処理番号までついていた。
おお、やっぱりインターネット、素晴らしい。私はそう心の中で叫んだ。
しかし、またどんでん返しがやってきた。
次の日にサポートセンターから私の苦情に宛てたメールが送られてきたのだが、その内容といったら、
「DSLがストップしている状態、大変遺憾に思います。
しかし、こちらでは修理のスケジュールなどを組むようなことはしておりませんので、下記までお電話ください。」
というものだった。
さて、その紹介されたDSL修理サポートセンターの電話だが、メッセージの内容は違っていても、先ほどまで書いてきた修理セクションの対応とまったく同じなのだ。
もう、何度受話器に向かい、バカヤロウと呟いたことか。
6月4日に修理セクションに電話をかけると、電話でのメッセージの後半が変わっていた。
担当の人間を待つ形式から、全て電話のボタンで苦情を言えるようになったのだ。
どんな種類の電話機を使っていて、何が悪いのか、どんな状況なのかをボタンで選び、最後には修理の日を設定することができる。
でもね、これが、日にちだけなのだ。
信じられます?
「6月9日 金曜日 午前8時から午後6時までの期間に修理に伺います。その間、ご在宅ください」
ううう。これで共働きの家庭など、どうしろというのだろう。たまの土曜日を、この修理の兄ちゃんを待つために無駄にしろとでも言っているのだろうか。
結局、苦情を言う相手もいないのだから、素直に予約をした。
今朝10時に、修理の兄ちゃん、いや、お兄様が現れた。
もう、後光が光が差して見える。
お兄ちゃんは笑顔を残して、バックヤードにある回線のボックスへと立ち去っていった。
さあて、私は今、DSLで快適にネットに繋いでいると思われますか?
大外れ!
まだごりごりと、ダイヤルアップで繋いでおります。
お兄さんは電話回線のことはわかるけど、DSLのことはよくわからない、一応、この家の回線まわりはクリアだったと、30分後ぐらいに報告に来てくれた。
このお兄さんに、バカヤロウって、言ったほうがよかったのだろうか。
でも、彼はただスケジュールどおりに修理に来てくれただけだ。文句を言っては可哀想だと思い、事実だけを話した。
5月17日から、ずっと回線が使えないから、私が相当困っていること、何回も修理セクションに電話して、メッセージも残しているのに、今まで誰も来てくれなかったこと。
お兄ちゃんは、「酷いや」と言って、「DSLセクションには、僕から連絡を入れて、DSLの修理ができる人に必ず来てもらうからね。で、もしも誰も来ないようだったら、僕の名刺を渡しておくから、ここに電話しておいで」と、ページャーの電話番号を書きこんだ名刺を渡して帰っていった。
本当に、酷い話しだ。
私がずっとネットに繋げない間に、何人かの人がネットから去っていっていた。
ホームページを閉じてしまった人もいる。
さよならも言えなかったなんて、辛すぎる。
私のこのネットに繋げなかった時間をどうしてくれるといいたい。
ああ、それでも電話料金は払わないといけないのか、PACIFIC BELLさんよ。
英語が巧みなら、訴えてやるのに。
この文章を打っている最中に玄関のベルが鳴った。
おお、1ヶ月前、修理に来てくれた金曜日のお兄ちゃんではないか。
「FAXのトーンは聞こえるけど、DSLのトーンは聞こえないの」という私の説明に首を縦にふり、このお兄ちゃんもバックヤードに消えていった。
さあて、この文章は無事にDSL経由でアップされるのであろうか。
本当に、アメリカで修理を待つというのは、禅の精神修業をしているような気持ちになってくるのだ。
2000/06/09