チリビーンズをあっためながら





夏休みが始まった
本来ならお茶漬けなんかで済ませる昼食も、そうはいかず、息子のために何か作ることになる。
今日はとっても手を抜いて、ホットドッグとフルーツにしてもらった。

私はホットドッグよりは、チリドッグのほうが好きだ。
ちょっとあの癖のある豆を煮込んだものをホットドッグの上にかけるだけなのだか、それだけで数段美味しく食べられる。かといって、自分で煮込むわけではなく、缶詰を開け、鍋で暖めるだけなのだが。
こんな食べ方があると初めて知ったのは、映画のシーン。「恋におちて」でメリル・ストリープがNYの冬の街で屋台のお兄ちゃんからチリドッグを買う。「ね、もうちょっとチリを入れて」なんて言いながら。

あの映画を見たのは二十歳始めだった。
でも、どうもその中の一シーンが未消化のままでいた。
メリル・ストリープが演じる彼女と恋に落ちてしまったローバート・デニーロ演じる彼は、お互い結婚してはいるものの、お互いの伴侶との愛は冷めてしまっている。
彼の妻に新しい恋のことが知れてしまうことになるのだが、妻は彼が彼女を抱けなかったことを知って思いっきり彼の頬にビンタを張るのだ。

どうして、彼は抱いてないのよ?
二十歳そこそこの私はそう感じた。
でも、やっと、彼女がビンタを張った気持ちがわかるようになった。
相手のことを想って抱けないこともある。そこまで彼女のことを妻である自分のこと以上に真剣に想っていることを許せなかったのだろう。もう、自分たち夫婦の関係は修復不能だということを悟りながらの、最後の一撃だったに違いない。

この映画の最後では二人はシングルになって再会する。
めでたしめでたしのはずなのだが、私は泣きながら画面を見ていても、心にひっかかるものがあった。

あのビンタを張った妻からこの二人の恋を見れば、どんな物語になるだろうと思ったのだ。
彼女と彼は今、再会した。これから幸せが始まる予感がいっぱいだ。
だが、スクリーンの向こうで壮絶な夫婦喧嘩の最中に泣き叫んでいた二人の小さな子供たちと彼女は、今は幸せにしているのだろうかと思うと、その輝くような二人の笑顔を見て、ひいてしまう自分を感じてしまったのだ。

ある出来事は、コインの裏表ではきかないぐらい、いろんな面を持っている。
白だ黒だとは、簡単に決められない。
その事実を受け入れられたり、受け入れられなかったりは、人それぞれ。
心にひっかかったり、受け入れられないと感じたとき、私は今までなんとか白黒をつけようと必死になってきた。
いや、受け入れようともがき苦しんだと言ったほうが、当たっているかもしれない。

でも、と、この頃考えるのだ。
たとえ、受け入れたいと思って覚悟したとしても、そこには無理があるのではないかと。
その無理はいつかきっと綻びになる。そこはきっと、また大きくなり、繕ってみたところで、また必ず綻びになってしまう。
でも、そこまでしなくてもいいのではないかと思うのだ。
本当に受け入れるというのは、そんな覚悟も痛みもない。
きっと、自然体で訪れると思うのだ。
私が夫のことを、良いところも、そして欠点かもしれない部分すら彼らしさだと感じて、全てを受け止めていられるように。




2000/06/23



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