この手にある温かな小石





何から書き始めていいのか、自分でもわからないのだが、やはり今日のこの日にこれだけは書いておきたいと思い、パソコンに電源を入れた。



◇◆◇


父上、母上。

心配させたくないという気持ちで、私は今まで一つだけ、伝えていなかったことがあります。
1999年、11月24日、私は手術を受けました。

その年の初秋、私は左下腹部にいつも痛みを感じていました。
あるときは、その痛みのせいで脂汗が出、ベッドに潜り込んで体を丸めることしかできなかったのです。
夫に叱咤され、病院でCTスキャンをとりました。
しかし、CTスキャンだけでは何が原因かわからずに、超音波での検査を勧められました。
その検査の最中、私の腹部の画像を見ていた先生の視線が厳しくなるのを感じました。
「動かないで、もうちょっとだから」
優しく語り掛けてくれている先生の言葉とは裏腹に、そこには何かがあるのだということが、表情からはっきりと読み取れました。

数日後、早く結果を聞きに来て欲しいとかかりつけの医者から言われ、子供を預けることもできずに二人の子供の手をひいて結果を聞きにいきました。医者からは、自分では手におえないから産婦人科医を紹介すると真っ先に言われました。
どうやら卵巣に腫瘍があるらしいとのことでした。
もしかしたら卵巣癌かもしれないし、そうでないかもしれない。
「頑張ってください」と右肩におかれた先生の手が、自分の体に置かれていないような感覚がありました。

その夜、私は夫の前で泣きました。
子供たちの前では堪えることができましたが、夫の前では無理でした。
自分がもしかしたら入院が必要な、それも、もしかしたら、もうこの世にいられなくなるかもしれないという病気になってしまったのかと思うと、平静でいられなかったのです。
夫は、産婦人科医のところでちゃんと調べてもらい、必要であれば、手術も、その後の治療も、何でも受けようじゃないかと、励ましてくれました。
その後、自分の状態を自分なりに受け入れることができたと思います。
最悪のことを考えました。それでも、何が起ころうとも、ちゃんと最後まで生き抜こうと考えられました。
そんな覚悟ができたからこそ、手術の日の朝は冷静に迎えることができました。

まだ、この世に私の使命が残っているとしたら、どうぞこの命とこの魂と、この体をお使いください。そうでなければ、この命、お召し上げください。
そう、昇る朝日に自分の心を託して、病院に向かったのです。

開腹の結果、私の腫瘍は悪性ではなく、他の部分も切らずにすみました。

そして、恥ずかしながら、夫に私の手術後の血だらけの下着を洗ってもらい、ほぼ2週間、自宅のベッドで天井を見ながら過ごしたのです。

やっとネットに繋げられるほど回復したある日、以前からお互いのエッセイに惹かれてメールをやりとりするようになった山下さんから、とても気遣った、優しいメールをいただきました。
そこには、山下さんがご自分のホームページでは一切触れておられない奥様のことが書かれていました。
そして、奥様のことは、どうぞ内密にしておいてくださいねとも。
私はそんな暖かな小石をこの手にのせていただいたことを感謝しながら、山下さんと奥様が食べ歩きに出られた様子をホームページで読ませていただきながら、毎朝、お天道様にお祈りしていました。
少しでも、奥様がよくなられますようにと。

その山下さんから、6月9日にメールをいただいたとき、私は画面の前で号泣してしまいました。そして、私も、こんなに良く、生きたいと。

父上、母上、この世に生まれて生きるということは、本当に毎日勉強ですね。
私も、今回初めて検査や手術を受けてみて、検査や手術を受ける人の辛さや不安がわかりました。
そんな心の動きがわかるようになって、ありがたいと思っています。
そして、こんなに柔らかく、強く、荘厳な人の生き様を、こんな私にもわけていただけたこと、深く感謝しているのです。
私も、そうありたいと、こんな弱い私ですから、足元にも及ばないのですが、このような生き様に少しでも近づきたいと思っています。

そして、一人でも多くの方に、千賀子さんの生き方の素晴らしさに、触れていただきたいと思ったのです。




2000/06/24



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