小さいとき、母は私に「プライドを捨てるな」と何度も語り聞かせた。
人にとって一番大切なのは、金でも名誉でもなんでもない、「プライド」なのだと。
小さな私にはそれは何のことかぼんやりとしかわからなかった。
いや、わかっていなかったのだろう。
私が「プライド」を意識するようになったのはいつの頃からだろうか。
「自分のことは自分で判断し、自分で決める」それがまだ心の幼い私の小さなプライドだった。
そして、今でも私の私たる所以はそこから派生しているのではないかと思うのだ。
自分で決めたことを最後まで全うしようとすると、決断したにもかかわらず、自分の心の中で揺り戻しがくることがある。また、その決断で人を傷つけてしまうことも知った。
それでも、全うしたいと思うのは、それは自分との戦いだと思ったからだ。
結果がどうなろうと、それを人のせいにだけはしたくなかった。それこそ、逃げになるから。どれだけ自分が苦しくても、やはり、自分と真正面から戦わなければ、何もこの手に残らない。
苦しいときほど、私は前を向くことにしている。
背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見る。
起こった事実も、自分の気持ちも真正面から見たいと思う。
起こった事実を誰かのせいにして摩り替えてしまうのは楽だ。しかし、その事実が起こったいくつかの原因はやはり自分にあったのではないかと、謙虚に受けとめたい。そして、その場にいる自分としては何ができるのか、何が最善なのかを見極めて行動していきたい。
たとえ、自分の感情が波打つことがあっても、それは自分の感情として、私がきっちりと受け止めたいと思う。自分の心なのだから、せめて、そのくらいのことはしてやりたいと思うのだ。
きっとこの不器用な生き方は、私が死ぬまで変わらないだろうし、変えたくない部分だ。
なぜなら、
時は刻々と私の若さを奪っていく。
しかし、そんな生き方をしているからこそ、時は若さでは代えられない、尊厳ある表情と優しさに満ちた微笑みを私に与えてくれると思っている。
2000/07/03