金曜日、夫を送り出す時間になると我が家のフロントヤードからは軽油で動く芝刈機の轟音が聞こえてくる。ガーデナーのマイケルさんが仕事をしにきてくれた合図だ。
マイケルさんは名前は横文字だが、100%日本人だ。しかし、お母様の再婚で中学を卒業してからアメリカに渡ったという経歴の持ち主だ。私との会話は全部日本語なので、私もたまに立ち話をすると長くなってしまう。
きっちりとした仕事ぶり。欠点といえば、ちょっと木を深く刈り込みすぎることぐらい。私たち一家がここSunnyvaleに来てからずっとの付き合いになっている。
そのマイケルさんが、私がふらりとフロントヤードに出たときに、黙礼をしてから近づいてくる。右手に何か黒いものが見える。
「おはようございます、奥さん。ねえ、このあたりにこんな名前の道はありませんか?」
マイケルさんの日に焼けた指が差した先には、開かれた財布のクリアケースから覗いた運転免許証があった。先ほど見えた黒いものは、財布だったのだ。住所と郵便番号に目を走らせる。我が家と同じ郵便番号、近くのはずだ。
私は自動車から地図を取り出してその免許証にある道の名前を探す。
こちらは全て道に名前がついているため、アルファベット順の道名のインデックスが地図についている。道の名前の右側にはアルファベットと数字が書いてあり、ブロックに分けられた横軸のアルファベットと縦軸の数字を組み合わせれば、その道のある地図のブロックに行き当たるようになっている。
アメリカの住宅地は日本と違い碁盤の目のようにはなっていない。不必要な人がバイパス代わりにその道を使わないためにも、わざと行き止まりの道を多くして住宅地に侵入する自動車を少なくしようとしている。だからこそ、住宅地に出かけるときには必ず地図で調べておかないと、袋小路につかまって、いつまでも目的地に行きつけないことがあるのだ。
今回の家も、大通りから入ったちょっと奥まったところにある家だった。
「こんなときにかぎって老眼鏡を持ってこなかったから、この地図では全くわからないなぁ。」
マイケルさんは私の手渡した地図をちょっとため息の混ざった声を出しながら眺めていた。
「お時間があれば、もっと大きな地図を印刷してきます。ちょっと、そのお財布を貸していただけます?」
マイケルさんからその財布を受け取ると、私はパソコンの前に座った。
大きな地図を紙に印刷して手渡すと、
「こっちのほうが見やすくていいです。助かりました。」
と笑顔が戻ってくる。
マイケルさんは実直な人だ。さきほど手にした財布には、免許証はおろか、カードも入っていた。悪い人に拾われたらカードなどで何をされるかたまったものではない。拾われた財布の持ち主も幸運だったなと思いながら、マイケルさんにそれを伝えたくなった。
「悪い人じゃなくて、マイケルさんに拾ってもらえて、このお財布の持ち主も幸運でしたよね。お家まで持っていってあげるのですか?」
私の頭の中には、免許証の顔写真の青年が笑顔でマイケルさんと握手している絵が浮かんできた。
でも、マイケルさんの顔はちょっと強張った。
「持っていって、メールボックスに入れたらすぐに帰ってくるつもりですよ。こんなもの拾ったって、何の得にもなりませんしね。」
ちょっと怪訝な顔を私がしたのだろうか、もっと説明をするようにマイケルさんは続けた。
「警察に持っていっても、ちゃんと処理してくれない。酷いポリスになると、自分の必要なものを抜いて捨てちゃうんですよ。
もしもこうやって拾って、善意で持っていくとするでしょう。そしたら、中には10ドルとか20ドルとかお札が入ってたはずなのにお前が取ったんじゃないかって、sueされる(訴えられる)。
でもね、これって本当にあったんですよ。だから、落ちてたら拾わないのが一番。
でも、落したものを拾ってもらって返ってきたときの嬉しいって気持ちもわかるから、何も言わないで届けてあげるつもりなんですよ。」
「そうなんですか。」としか、私は答えられなかった。
マイケルさんはアメリカに渡ってから色んな思いをして今に至っている。
ガーデナーの仕事をしている最中、落ち葉を機械で吹き飛ばしていたときに、駐車していた自動車に傷をつけられたと自動車の持ち主に裁判に持ち込まれ、多額の弁償金を払わされた経験もあるという。
色んな人がいるから、相手が最低の人間であると考えて今まで行動してきたという。
いくら善意があっても、それを悪用される場合は関与しない。冷たいようだが、そうすることでしかマイケルさんは自分の身をこのアメリカという国で守ることができなかったのだ。
このごった煮の国、アメリカ。そこには頭が下がるぐらい日本人よりも謙虚で繊細な人がいると思えば、「ありがとう」の一言すらも知らないのかと感じさせ、いきなり裁判沙汰にしてしまう人もいる。
でも、これも現実なのだろう。
物に溢れ、今ここでは満ち足りているように見えるアメリカ。
しかし、小学生の子供が学校に銃を持ちこみ、クラスメイトを射殺してしまう国、アメリカ。
そして、そんなアメリカの背中を、マラソンの2位につける走者のようにぴったりと後ろをくっついて走ろうとしている日本。
でも、善意を受けつけられず荒んだ心を持った人、人を信じられなくなった人もアメリカという国にはいる。こんな部分だけは、日本には真似をして欲しくない。
人の根本は善か、悪か、諸説はあるだろう。しかし、そうやって財布を片手に現れた人を疑うこともしたくないし、そうやって財布を拾っても中身を抜き出したり電話番号を書き出したりするような人間には間違ってもなりたくない。そんな卑劣なことをする人にはなるなと子供たちにも教えたい。たとえどんなに勉強ができても、社会で認められていても、こんなことをする人間は最低だと。
今後、たとえどんなに貧しい国に日本がなったとしても、あるいはずっとこのままアメリカの後を追って走りつづけるとしても、こんな心のぎすぎすした寂しい国には、自分の祖国はなって欲しくない。
どんな状況におかれても、人としてのプライドを持ちつづけて欲しい。そのプライドは民族や国境を越える。そうではないだろうか。
どんなに国が貧しくともどんなに国が富んでいても、忘れてはならない人としての部分が必ずある。それが無くなって繁栄を極めたとしても、その先に何があるというのだ。
たとえ、微力でも、自分たちの子供へ、そのまた子供たちへと、人としてのプライドを受け継ぐようにしなければならないのではないか。微力でも伝える努力を怠らず、綿々と続けていくのなら、いつかはきっと国としての大きな力と信用になる。それにはまず、一番小さな単位の社会である家庭の、自分の子供たちから始めなければ。
そう感じた、晴れた金曜日の朝だった。
2000/08/04