不惑の歳に近付いてくると、気持ちは若いつもりでも体のあちこちからボロがきはじめる。情けない話だが、私もどうやらそんな歳になってきた。
そいう年回りになると、どうしても病院にお世話になることが多くなる。検査というものも体験した。
さて、アメリカでは、開業医が検査や手術のための施設を自分の病院内に設けていることは希だ。
たとえば、産婦人科なら診察の施設はあるが、分娩や手術の施設はない。また、検査の施設もない。そういった診察以外の手術や検査を受ける場合は、大きな病院や、検査だけを行う施設にまた別途出向いていくことになる。場合によっては患者だけのこともあり、先生が患者と一緒に他の施設に出向いていくこともある。だから、診察だけを行う病院はとてもこじんまりしている。
それと相反するように、何でも施設の整っている大きな病院といったら、本当に大きい。何棟もの大きな病棟があり、手術をする病棟、検査をする病棟、カフェテリアや入院病棟などに分かれている。初めて足を踏み入れた人間にとっては何がどこにあるかお手上げ状態だ。自動車を駐車する場所を間違えれば、延々と歩かなければならない。
そこで利用するのが病院の正面玄関にある総合案内所ということになる。
さて、あなたがその総合案内所に近付いていくと、そこには妙齢70歳代のおばあちゃまが数人座っているのを目にするだろう。
銀髪の可愛いおばあちゃまが、制服である淡いピンクのスーツをお召しになってちょこなんと座っている。もちろん、ここで質問すれば、ちゃんとてきぱきとどの病棟へ行けばいいかを教えてくれるし、パソコンに強いおばあちゃまなら私の苗字を聞き出してちゃんと予約を取っているかの確認までしてくれる。
もちろん、迷子にならないようにと、道順の解説と日本のマクドナルドで売っているスマイル以上の上等な微笑みが返ってくる。
余談になるがアメリカのマクドナルドの店員は、オーダーをとるときにニコリともしない。
こういった病院で手術を受けるとき、一番初めに入る控え室の看護婦さんは、すでにリタイアしたと思われるぐらいの年齢だ。
することといえば、患者をリラックスさせるための会話と、手術が行われる前の貴重品関係の注意事項、あとは手術に間違いがないように、本人にどこをどんなふうに手術するかの質問をして、背中の全部開いた手術用の服を置いていってくれる。
ただ、それだけなのだが、こういった看護婦さんがいるということだけで、患者がリラックスするのにかなり役立っているのだ。この看護婦さんは血圧を計るだけで、他の点滴などの医療行為はしていなかった。だからこそ、慌てることもなく緊張した患者の気持ちをリラックスさせることができるのではないかと思う。
私に話し掛けてくれたベテラン看護婦さんは、私の手術の内容を聞いて、「すぐに起きられるようになるわよ。起きたくなくっても子供がいたら寝てられないものね。ほんの数日の休暇ね、ゆっくり休むのよ。母親って大変だもの、よくわかるわ、私も母親ですから」と言って、私にウィンクした。
そのウィンクが、どれだけ心細くて緊張していた私には有り難かったか。
後から聞いたのだが、不思議なことに、手術前にリラックスできた患者は出血量が少なくてすむそうなのである。
若い人には体力がある。
だから、若い人がしたほうが良い仕事がある。
かたや、経験はあるが年齢の制限でリタイヤしたという条件の人を、考え様によっては最大限に活かせる職場もある。
一度働いたことのある人なら、プロ意識を持っているだろう。リタイヤした人にも社会に参加する機会を与え、生きがいも、そして給料も与えることができるようになる。
若者の数がどんどん減っていくが外からの移民を考えていない日本など、こういった人材の活用を真剣に考えてもいい頃なのではないかと思うのだ。
職場の花は、若い人だけではないだろう。外見だけではない心の花も、職場や顧客に何かをもたらすのではないだろうか。
2000/09/08