残された羽根






私が娘を産んだ1990年ごろ、赤ちゃんを持った母親たちの関心事のなか、「うつ伏せ寝」がかなり上位にランキングされていたと思う。
その当時の赤ちゃん関係の雑誌には、かなりうつ伏せ寝が推奨されていたし、母親同士も公園で赤ちゃんの頭や顔の形を見ては、「あら、あなたのところもうつ伏せ寝ね」と、会話が弾んだものだった。
雑誌がうつ伏せ寝を薦めていた理由は大きく二つあったと思う。この寝方によって、赤ちゃんは筋肉を早くから使うので、プロポーションの良い子に育つ。現にうつ伏せ寝先進国であるアメリカの子供たちは、体格がよい。もう一つは、赤ちゃんが良く寝るということだった。

私もプロポーションが良くなるという一言にクラクラとしたのだが、窒息の危険性があるのではないかと仰向け寝で育てることにした。
そのおかげで、娘の顔はひらべったいアジア人平目顔の赤ちゃんになった。かたや、うつ伏せ寝で育った子は顔の幅が狭く、頭の形もとてもよかった。
公園で話をする母親たちと顔幅の狭い他所様の子供の顔を見比べながら、ちょっと娘には可愛そうなことをしたかなという気持ちになった。

娘の出産の後、私はSIDSという文字を新聞で目にすることになる。
SIDSとは(Sudden Infant Death Syndrome)の略だ。日本語に翻訳するると、幼児突然死症候群となる。この病気は生まれてから一歳未満の赤ちゃんに多く発症し、眠っている最中に突然亡くなるというものだ。これは事故による窒息死ではなく、赤ちゃん自身が何らかの原因で呼吸しなくなり、苦しまずにまるで眠るように亡くなるという病気なのだ。
新聞には、外国で暮らしていた日本人夫婦の赤ちゃんが、このSIDSで突然この世を去ったことにまつわる様々なことが書かれていた。
夫妻の電話で駆けつけた警察官は、ベッドでの赤ちゃんの状態などをチェックしてから、「これはSIDSなんです、ご夫婦の過失ではない」と説明し、赤ちゃんの一番良い服とカメラを持ってくるように言った。奥さんが赤ちゃんを着替えさせる終わると、警察官は親子三人の写真を数枚撮り、お悔やみを言って帰っていったという。その後、ご夫婦は同じ経験を持つ、SIDSで子供を無くした人のサポートグループに参加し、心の中にある悲しみやさまざな複雑な感情を出すことによって、突然の我が子の死を一緒に悼み、受け入れていく。その過程が書いてあったのだ。

その段階ではまだSIDSを引き起こす原因は何かなど一切解明されていなかった。また、現在でもはっきりとした原因がわかっていないのが現実だ。

さて、アメリカでは1992年に、SIDSにうつ伏せ寝が大きく係わっているという報告書が、アメリカ小児科学会によって書かれた。仰向け寝、あるいは横向きで寝ることによって赤ちゃんがSIDSになる危険性を減らせるというものだ。その後、1994年からは、"the national public education campaign"で「赤ちゃん仰向け運動」が展開され、その後の追跡調査では1992年には70%の赤ちゃんがうつ伏せ寝だったのに対し、1996年には15%に減っているという報告がある。
その結果、1993年には1000人に1.22人発症していたのが、1995年には1000人に0.84人と発症数も減っているのだ。

しかし、日本ではうつ伏せ寝信仰はそのまま続き、私が息子を産んだ1994年の段階でも、母親の間ではうつ伏せ寝がもてはやされていた。
しかし、その時点で日本の新聞ではSIDSとうつ伏せ寝と感冒は関係があるのではないかという記事が出始めていた。
SIDSで亡くなっている子はうつ伏せ寝であることが大半で、また風邪気味あるいは風邪の治りかけのときに発症していると出ていたのだ。

このSIDS、誘発する要因を取り除けばある程度は防げるものだが、やはりそれでも防げない場合がある。そんな場合、誰を責めることもできない。しかし、何が誘引となるかを認識していれば、一つでもその誘引を取り除いて赤ちゃんを危険から守ることができる。
それは家庭内でもそうだし、もちろん小さな子供を預かっている施設でもそうあるべきだ。
うつ伏せ寝にSIDSを引き起こす誘引があるのだとすれば、やはり保育園や乳幼児を預かる病院でも、できるだけ仰向けや横向きで寝かせるように注意してやらなければならないのではないか。
また、赤ちゃんが呼吸停止や心停止した場合、どういう措置をとればいいのか、母親学級でも教えるべきだと思うし、保育士の人には必ず乳幼児に対する人工呼吸のスキルをつけてもらいそれを維持してもらわなければならないのではないだろうか。
実際に保育園で乳幼児が呼吸停止、心停止したとき、救急車を呼んだ後は保育士がパニックに陥り、乳幼児を毛布に包んだまま何も処置をしなかったという例も報告されている。
最悪の状態で乳幼児が発見されたとしても、そのとき最善の処置をとるのが、やはりプロではないかと思うのだ。

そして最後に、このSIDSに対して気がかりなのは、この病気を「ごみ箱」にされてしまうことだ。

SIDSで亡くなったかどうかは、解剖の結果でもはっきりと断言できないのが現実なのだ。
しかし、病院内で医療ミスがあった場合も「SIDSの疑いあり」と書けば、医療ミスを闇に葬り去ることができる。つまり、事故だったものを病気だと言うことで、一切の事故に対する責任を負わなくてすむということなのだ。
こちらのページに目を通してみていただきたい。
SIDSというごみ箱の中で

SIDSという病気は実際にあり、それで子供を亡くした方の悲しみはいかばかりかと思う。
しかし、SIDSが存在するということで、その病名を病院や乳幼児を預かる施設が隠れ蓑に使うようなことは、許すべきではないのではないか。

小さな乳幼児が入院するということは、戦いだ。その小さな命も戦っていれば、その命を取り巻く、両親も戦っている。ましてや、その小さい命に兄弟があった場合、その子も我慢しながら両親の気持ちを推し量って寂しさにも耐え、戦っているのだ。
その戦いの原因が施設側にあるとしたのなら、施設側ははっきりとその過失を認めるべきではないのだろうか。
その問題に蓋をし、事故に蓋をしたままでは何の進歩もないのではないか。
看護婦の数が足りないのであれば、まずは看護婦の職場環境をもっと改善し、看護婦や看護夫になりたいと思う人が増えるように変えていくなど、全く別の次元からも解決策を模索する必要があるのではないか。
そうでなければ、同じ過ちは繰り返される。

上記で紹介したホームページを作った母親は、今、家族で病院を相手に裁判を始めた。
熟考した上での、英断だったと思う。なぜなら、非常に証拠を提示しにくく、困難な裁判になるだろうからだ。
しかしだ。
少年が、王様が裸だと言わなければ、誰も王様が裸とは言えなかったという物語がある。
誰かが「おかしい」と言わなければ、全てが闇に葬り去られることもある。

最後まで戦い抜いた真滉ちゃんの背中には、さわさわと羽根が生えていたのだと、その母親は書いていた。そして、その羽根から抜け落ちた残された羽を、私たちはこれから生まれてくる新しい命のためにも、無駄になどしてはならないのだ。




このエッセイはRest Stationの『うつぶせ寝』を読んでから、書かせていただきました。
和恵さん、どうもありがとう。

2000/09/30


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