暖かさは巡る





ニューヨークに住む日本女性から、こんな嬉しい言葉を聞いた。
「このごろ、よく、電車で席を譲ってもらうの」

彼女は今、妊娠している。きっとそのことを気遣って、周りの人間が席を譲るのだろう。
親切で席を譲ろうと思ったとき、行動に移すのには少しの勇気がいる。それでも、行動を受け入れてもらえ、小さな行動が他の人にとって少しでもプラスになれば、自分の行動も勇気も報われたような気がするのは、私だけではないだろう。

妊娠期間をオーストラリアで過ごした私の友人はこう言っていた。
「みんなとっても親切だったわ。ドアはもちろん開けてくれるし、何か落としたら、全速力で走ってきて、落としたものを拾ってくれた若い男性もいたわ。バスなんかだと、私のほうが席を譲らなきゃならないようなおじいさんが、席を譲ってくれる。辞退しようとしたら、「良い子供を、次の世代を産んで育ててください」なんて、言われちゃったの」
私も、妊娠中、何度か席を譲ってもらったことがある。やはり、妊娠するとすぐに疲れるので、たった一駅でも座れるのは有難かった。私にできることといえば、心の底からのお礼の言葉と、笑顔を返すことだけだったけれど。

こう書き始めて、思い出したことがあった。
まだ独身のころ、通勤客で混み合った電車で、若いご夫婦に席を譲ったことがある。
奥さんは、妊娠している様子で、ご主人はつり革につかまりながら、奥さんのお腹と体を支えていた。
この日、私は残業続きで相当疲れていたのだが、席を立った。そのときの、ご夫婦の笑顔と最敬礼が私の目に飛び込んできたのだ。私の疲れなんて、一度に吹き飛んだ。お礼を言われながらも、暖かいものをたくさんいただいたのは、私のほうではないかと感じながら、にこにことしながら黙礼を返した。

また、子供が出来てからも、こんなことがあった。
用を足したいと子供が急に言い出し、飛び込んだトイレは長蛇の列だったことがある。子供はもうおもらしをしてしまうと、青い顔をしていた。そんなとき、列の先頭のほうにいた年配の女性が私の子供に気がついたのだ。
「ねえ、あの子、先に行かせてあげてもいい?」
年配の方は一番前の若いお嬢さんの背中にそっと触れて囁くと、お嬢さんはこちらを振り向いて、こくりと首を縦に振ってくれた。
年配の女性とお嬢さんに最敬礼すると、次の番に私の子供は先にトイレを使わせてもらうことができた。

こんなこともあった。
東京に慣れない母を東京駅まで送り届けるため、娘をベビーカーに乗せて出かけたときのことだ。
行きは母がいてくれるので荷物も持ってもらえたが、帰りは娘が寝てしまったこともあって大変だった。真っ赤な顔をし、腕をぶるぶる震わせながら大きな荷物を肩にベビーカーを抱きかかえ、ホームへの階段を登っていく。
ふいにベビーカーが軽くなった。
横を見ると、まだ幼さの残る二十歳前の背広を着た青年が、微笑みながら、無言でベビーカーを持ってくれたのだ。
階段を全部上がった後、彼はよほど恥ずかしかったのか、私ともあまり目を合わせず、ちょこんと黙礼すると逃げるようにプラットホームの奥へと大股で歩いていってしまった。
でも私は、見ず知らずの青年のこんな素敵な思いやりに、なぜかブラウスの袖で目頭を押さえていたのだ。

人は一人で生まれてくるというけれど、その誕生はたった一人では成し遂げられない。胎児としてこの世に生まれる前から、母親を通して世の中と係わっているのだ。また、成長するにつけ、色んな人のお陰で大きくなっていく。
親として出来る事なんて、たかが知れている。
でも、見ず知らずの周りの人からも、思われ、その優しさがどれだけ親と子供たちを助けてくれているのか、そのお陰で子供は大きくなってきたのだということを、少しでも伝えられればいいと思う。そうすれば、今度は私たちの子供の世代がまた席を譲り、あるいは機転をきかせて小さな子供たちとその親に、暖かな親切を届けることができるだろう。

もし、私たちの次の世代である子供たちに親切にされたとき、その気持ちを親として素直に受け取っていただきたい。そのお礼は、きっと、親が数々の親切を子供たちに喜びと感謝をもって話すことなのだと思う。そしてその親切を受け取ることは、手を差し伸べた人に対しても、暖かな気持ちをプレゼントすることだと思うのだ。

きっと、そういう暖かさは人種を越え、国境を越え、次の世代に巡り巡るものだから。


2000/10/02


読んだら押してみてくださいね。






もどる