我が家は築37年の年代物だ。前の住人は全くといってメンテナンスを行っていなかったので、今、色んなところからボロが出始めている。
昨夜も夫が水浸しの床を靴で歩きながらボイラーから水抜きをしてくれた。やはり家と同じように年代物だったのだろう。寒い時期にお湯が使えなくなったのは辛かったが、たまにボイラーが爆発したという話を聞いているから、水漏れぐらいはなんということもないと自分の心に言い聞かせた。
さて、昨日、夫がボイラーを売っているお店に朝一番、電話をかけてくれた。午後1時までに折り返し私の家の電話か私の携帯電話に返事をくれるということだった。電話は約束どおりきた。しかし、当日にボイラーを設置してもらうことはできず、翌日の8時から10時の間に伺いますと言われた。
さて、日が変わり向こうが指定した時間になっても、なかなか設置業者は現れない。朝の2時間は貴重だし忙しい。子供たちを学校へ送っていかなければならない。でも、誰かが家にいて業者を待っていなければならない。結局今朝は子供を送っていくという役目を、夫が全部引き受けてくれた。
が、である。
来ないのである。業者は、一向に現れる気配もなく、電話もない。
そうして、やっと10時6分前に我が家の玄関に業者が現れた。
日本だったらどうだっただろうと、考えていた。
確かにマンションなど住居数の多い建物に住んでいたとき、点検の時間はとても緩やかに提示されていた。数十件、回るのだからしかたのないことと、こちらも納得していた。
しかし、たった一軒だけの顧客に対してこれだけ緩やかな時間を提示するのもどうかと思う。8時から10時までと言われれば、言われたほうは8時から待っているのが当たり前だろう。それとも、アメリカという国では、言われた遅い時間のほうを念頭において待つべきなのだろうか。
携帯電話がある時代なのだから、「これから伺います」の電話が一本ぐらいあってもいいのではないかと思うのは我侭だろうか。
その点、まだ日本なら宅急便やお花の配達で時間を指定すると、時間どおりに持ってきてくれる。日本では、こちらの生活があるし客なのだから当たり前と思ってしまうが、アメリカではそんなお店との時間の約束など当てにならない。酷いときは、すっぽかされることもある。
アメリカでは、顧客からの苦情を電話やインターネットのメールで処理するところが多くなってきている。だから、どうしても電話対応をする部署を設けなくてはならない。苦情ばかり聞いているのだから、そんな部署の人々の対応はあまり心のこもったものではない。そして、そんな人たちが心を込めないまま、修理が必要な場合はそのスケジューリングをしていく。修理を実際にしている人たちは忙しくて、てんてこ舞いでも、時間が空いていればスケジュールは機械的に入れられるし、顧客や修理を担当している人のことは全く考えずに勝手に変更されてしまうこともある。それも、顧客に変更の通知さえされずに。
同じ会社でも部署と部署の間の連結がうまくいってない状態は、確実にサービスの悪さに繋がっているのではないだろうか。
かえって、実際に修理に来た人たちのほうが、「直せなくて悔しい。別の部署に連絡するから。何かあったら、このアドレスにメールを入れておいて。個人のアドレスだけど、なんとかしたいから」などと言いながら、名刺を置いていってくれたりする。
分業制度が行き過ぎると、お店の人も自分の仕事がうまくいかなくなるし、顧客も不満を持ってしまう。
でも、顧客満足という言葉は、アメリカのビジネスにはもうないのかもしれない。
あと、ボイラーの設置にはどれだけ時間がかかるのだろうか。
今夜はゆっくりと、熱い湯が張られた湯船にこの身を沈めたいと考えながら、壁に穴を開ける音を聞いている。
2000/11/09