象牙のバングル




私はプレゼントを貰うのが大好きだ。
そして、貰ったプレゼントを使うのも大好きだ。

19歳の誕生日に、私は毛糸の手袋を貰った。ベージュに雪の結晶が白で編みこまれ、私の好きな紫がスパイスにちょっと効いている手袋、それは同じバンドでドラムを叩いている男友達からのプレゼントだった。その手袋は素敵で、母も誉めてくれる。そして、夫も。

手袋はいつも私のダウンジャケットのポケットに入っていて、寒い日には、そのカジュアルなダウンジャケットを着ると、必ずその手袋をはめる。
はめながら、男友達のちょっと照れた表情や、そのときの学生会館の風景を思い浮かべる。

プレゼントとは私にとっては、ただの「物」だけではない。プレゼントを贈ってくれた人との大切な思い出であり、プレゼントを贈られたときへ瞬時に戻れるタイムマシーンでもあり、離れていても繋がっているという証でもある。だから、一度贈られたプレゼントは、よほど相手に裏切られるなどしない限り、手放さない。

でも、何事にも例外があるように、贈られたのにどこかに行ってしまったプレゼントがある。

それはもしかしたら、私の手元に来るべきではなかったプレゼントなのかもしれないが。

大学2回生のとき、当時付き合っていた彼にこう言われた。
「今度のお前の誕生日には、Ropeのドレスを買ってやるから」
彼は社会人になり、初めてのボーナスを貰った直後が私の誕生日だった。そして、私にしては二十歳の誕生日だった。
「金額は2万円前後だな」
その当時の私の一ヶ月のお小遣いが2万円だった。どれだけ驚いたか、そして私が喜んだか。
Ropeという洋服のメーカーは、コンサバティブでありながら、いつも素敵な服を作っていた。また、当時は9号サイズがどのお店でも主流だったが、Ropeは比較的小さなサイズを取り扱っていた。
その当時3号か5号でないと着れない私にとって、本当に嬉しい申し出だったのだ。
私はRopeの大阪にあるお店に何度も足を運び、ベルベットのドレスをおねだりしようと密かに心に決めていた。

しかし、誕生日当日、彼の口からは信じられない言葉が飛び出した。
「2万円は無理だ」
「あれだけ約束していたのに」という言葉を飲み込んで、私は心を穏やかにして彼に尋ねた。
「幾らなら、出せるの?」
「1万円。いや、8千円」
結局、彼が最後に出せるといった金額は2千円だった。

彼は、なぜ2千円しか出せないようになってしまったのか、何一つ説明してくれなかった。
男性ならその時の彼の心理を理解できるのかもしれないが。
何か言うことは、ただの言い訳だと彼は捉えていたのだろうか。もしも、それが私以外の女性なら許せていたのだろうか。

たとえ、賭けマージャンでスッテンテンになってしまったにしろ、高速道路で白バイに捕まって罰金を払わされていたにしろ、約束を果たせなくなった理由を何も言ってもらえないというのは、私にとっては辛かった。それは、私の彼に対して今まで持っていた信頼に対する裏切りと言ってもよかった。理由があるのなら、それを明らかにすればいい。それで言い合いになっても、和解できるのであれば、納得できるのであれば、二人の絆も深くなったに違いない。
あるいは、「今は出せない状況になってしまった。ただ、理由は言えない。いついつまで、待っていてくれ」と、もう一度きちんと約束してくれれば、私の気持ちは穏やかだっただろう。きっと、私はその日のデートを笑顔で楽しんだだろう。
しかし、私には理由も説明されないまま、ただ2千円の誕生日プレゼントを自分で決めろという現実だけが残った。

彼は逃げた、私はそう思った。
また、約束を破られたとも。

「できない約束なら、はじめっからすんなよな」
お腹の中だけで、私はそう叫んでいた。口に出すことはどうしてもできずに。

2千円でプレゼントを探すのは、その日の私にとっては難しかった。
ちょっと素敵だと思うものは3千円以上する。
しかし、せっかく二十歳のプレゼントに何か買ってもらうのだから、本物が欲しかった。メッキのネックレスは5年もたてばメッキが剥がれる。本物のアクセサリーはたとえ私が80歳になろうとも輝いている。
しかし、私の理想と現実の2千円で折り合うアクセサリーなど、なかなか見つかるものではない。

何軒もお店をはしごした。
彼の表情もどんどん暗くなる。
そして、それにつれて、私に気持ちも暗くなっていった。
「ええかげん、早く決めろや」
そう言われた時の私の胸がどんなに痛んだか。
こんな気持ちになるなら、彼からのプレゼントなんて、一切いらないと思った。

「もう、なんでもいいや」
そう思って入ったアクセサリーショップに、輪ゴムのように細くて小さな象牙のバングルがあった。
お店の人は、「小さすぎてどのお客様の腕にも嵌まらないんです」と言っていたが、私の腕には入ってくれた。
これはお値打ち品ですよと言うお店のオーナーから、バングルは箱に入れられラッピングされた。
私はできるだけの笑顔でありがとうを彼に言ったが、頬は完全に引きつっていた。
男と女の間でも、それがたとえ恋人同士でも、いや、恋人同士だからこそ余計に、信頼というものは簡単に壊れるものなのだと、その日の数時間は私に教えてくれた。

そんなバングルは、ほんの数回私の左腕を飾ってから、淡雪のように消えてしまった。
でも、よかったのかもしれない。
バングルをすればしたで、私は誕生日当日の裏切られたという気持ちと、不愉快極まりないプレゼント探しの数時間をどうしても思い出してしまい、バングルを愉しんで身に付けることが一度もなかった。 だからこそ、バングルは私から逃げ出したのだと思う。

ときどき、私のコートの袖から落ちたあのバングルが、私と同じような手首の細さの女性に拾われて、数本の象牙のバングルといっしょに揺れていればいいなと思ったりする。
そんなとき、濡れたネオンの光るアスファルトにあのバングルが落ちていて、足首の折れそうに細い女性に拾われているのを想像したりするのだが。

真心や誠意のないプレゼントは、相手に何も伝えない。
それどころか、嫌な思い出を蒸し返す小道具になる。だからそんなプレゼントは使われることもなく、引出しの奥にしまわれたりする。女性によっては、それを捨ててしまうかもしれない。下心のある大富豪から贈られた十数キャラットのエメラルドを、大富豪の目の前でクルーザーから海に投げ入れたココ・シャネルのように。

でも、もしかしたら、プレゼントのほうから持ち主に見切りをつけて、出て行ってしまうのかもしれない。「私はあなたのためにこの世に生み出されたのではないのよ」と、女に囁き、その囁きがエメラルドを海に投げ入れさせ、無意識にバングルを落とさせるのかもしれない。
そうやって、二度と持ち主にも贈り主にも届かないところへ行ってしまうのだろう。
海の底で眠るエメラルドのように、どこかで眠る象牙のバングルのように、もとには戻らない信頼のように。



2001/01/09


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