返品天国




私の密かな楽しみは帽子を買うことだ。布製のカジュアルなものも好きだが一番好きなのはウールやパナマで作ったちょっとドレッシーな帽子だ。帽子というよりも、シャッポといったほうが似合うと思う。
さんざんお店で被らせてもらってから自分が買う一品を決めると、店の人は先の尖った金属がついている黒いゴムをシャッポの内側にあるグログランの生地にぷすりと通して小さな櫛をつけてくれる。この音がした瞬間、ああ、このシャッポは私のものになったんだと、背中にぞくぞくするものが走った。
女の買い物の楽しみは、たくさんの時間をかけて、この特上のぞくぞくを味わうことだと思っていた。

しかし、アメリカでは、女はおろか男も若者も、このぞくぞくを知らないでいるらしい。

アメリカは消費天国であり返品天国の国だ。
クリスマス前なぞは長いリストを持った人たちがショッピングモールに繰り出し、商品を買うごとにリストの名前を消していく。そのリストは短くても10人分ぐらいはあり、一家に一枚ではなく家族一人に一枚の割合で作られている。このリスト、強烈なのは幼児すら持っていること。幼児でもおじいちゃんやおばあちゃん、自分の兄弟やプリスクールの友達へと、プレゼントを買うのだ。もちろん、母親が決めて母親がお金を支払っているのだが。
こんな調子だから、たまに娘の買い物に付き合っている母親などの口から、「まだあと8人も残っているんだから、このお店でさっさと決めてしまいなさい」というちょっとイライラした声なんが聞こえてくることもある。
レジは長蛇の列。土日に買い物に行こうものなら、レジでたっぷり20分待つのはざらだ。レジでは通常お金を払うだけで、ラッピングは別のカウンターに持っていく。そのラッピングに至っては、数時間後の引渡しになったりする。待つだけで疲れきってしまう。私は時間が惜しくて、ラッピングは家で自分でやってしまう。それでも辛抱強いアメリカ人、自宅に帰らずにじっと耐えて待っている。
そうまでして贈り物合戦をしなければならないのかと呆れてしまうが、それがアメリカの習慣なのだろう。この習慣には何年アメリカで暮らそうと、馴染みたくないと思う。

さて、クリスマスが去った後はそれぞれのお店が売れ残った商品のクリアランスセールを始める。賢い人はここで大きな家具や食器などの買い物をするらしい。
そしてその時期、お店には別の列が出来ている。返品の列だ。

アメリカは日本以上に「お客様は神様です」精神が浸透している。
たとえば、デパートで有名なノードストロームでは、お客が返品したいと言ってきたタイヤを、自社で売ったかどうかはわからないまま返品に応じたのだという。
この担当者、顧客満足度を高め、素晴らしい行いをしたと社内で表彰された。
なんだか、信じられない話だ。

店のほうがこんなのだから、お客のほうは完全に店が返品に応じると思って舐めてかかっている。
たとえば、スニーカーを履きつぶして穴が開いたとする。もちろん日本人なら「よく履いたな、新品を買いに行こう」とショッピングに出かけるだろうが、アメリカ人はそんなことはしない。「穴が開いたよ」と、返品に持っていくのだ。

普通、日本で洋服を売るブティックでは返品お断りの張り紙をしているところがある。返品に応じても、全くタグも取っておらず、サイズを変えるのなら応じてくれるところもあるが、品物を返して返金までして欲しいと頼むと、応じられないと言われることのほうが多い。
しかしだ、アメリカなら一度使用したものでも返品に持ってくる。
たとえばパーティーで一度だけ使用したドレスだとか、タキシードだとか、みんな堂々と返品しにくるのだ。また、店のほうも店のほうでそんな商品をアウトレットや通信販売にまわす。酷い店になると、もう一度タグをつけて店で売ってしまう。
自宅に配送されたジャケットをうきうきと試着して何気なくポケットに手を突っ込んだら、誰かが洟をかんだティッシュが出てきたなどというのはざらにあるのだ。

ワインの販売会社で働く友人はこんなことも言っていた。
ワインのコルクを抜いたのを返品しに来た客がいた。コルクの状態が悪くてワインの味が落ちていたのかと思ったが、返品されたワインは状態もよかった。
返品の理由を聞くと、
「奥さんが気に入らなかったから」
なんとも、驚く理由だ。だが、アメリカでは返品するのには充分な理由らしい。

だから、アメリカ人は気に入らなければまた店に持って帰って返品すればいいと思っている。店のほうも、そうやって返品された商品をまたタグをつけて打ったり、格安でさばくルートを持っているから気楽に返品に応じる。

考えれば安く上がる買い物を楽しめるメリットもあるが、あのぞくぞく感や満足感も知らないで吟味して買い物をする楽しみを知らないのかと思うと哀れになる。
気楽は気楽だが、運命を感じて買い物をする楽しみを知らずに生きるなんて、私は嫌だ。
しかし、買い物をするときには商品が入ったパッキングを念入りに調べたり、ポケットや襟などを小姑のように目を近づけて確認する癖がついてしまった自分にも、同じだけ哀しさを覚えてしまう。

返品天国は消費者天国ではいなと、そう感じるのだ。

2001/03/07





このエッセイはInfo Ryomaのコラムに書き下ろしたものです


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