朝の人々




思い立って、娘を学校へと徒歩で送っていった後、公園を走り初めてそろそろ一ヶ月になる。動機といえば聞こえがいいが、ある晩、夫にわき腹の贅肉を掴まれて「太ったなぁ」という声を聞いたのがきっかけだった。

産毛すら生えていないほどのにわかジョガーだが、朝の30分間、自分だけの時間を楽しみながら走ったり、歩いたりしている。

公園は以外と大きく、一周ぐるりと走れば300mぐらいはあると思う。木々がたくさん植わっており、木陰を作ってくれるし、小鳥やリスも目の前を横切っていく。木の葉が揺れる音や小さな動物たちのたてる音を聞きながら走っていると、不思議と笑顔になっていく。昔、高校時代の体育の時間ではしかめっ面して走っていたのにと思い出すと、また可笑しくて笑いながら走ってしまうという始末だ。

そんな朝の公園には、私以外の人々がタイチー(太極拳)をしたり歩いたりしている。サッカーボールを器用にキックしている人もいれば、音楽をかけてダンスしている人もいる。そんな人々が、すれ違うたびに、"Hi"とか"Good Morning"とか声をかけてくれるのだ。白人の3人仲良しおばあちゃまグループもいれば、私がTシャツで走っているときでもダウンジャケットを着込んでいる中国人おばさま二人組みもいる。すれ違うたびに拍手をしてくれるおじいちゃまもいれば、髪の毛をすっぽりとスカーフで包んで歩いている女性もいる。額に点を描き、サリーを着て歩いている人もいる。

不思議なもので、一ヶ月もすると相手の名前を知らなくても、私も朝の公園仲間の一人になったように思う。顔を知っているというだけなのに、遠くからでも私の姿が見えると手を振ってくれる人もいる。そしてこちらも振り返す。

今日はあの人を見ないなと意識することもある。特に、お年を召した方が公園に来ていないと、気になってしかたがない。でも、翌日元気に歩く姿を見かけたら、また嬉しくなってしまう。すれ違うときには、思いっきりの笑顔で挨拶しようと、私は走りつづける。

悲しいニュースを新聞の一面で見た朝、いろんな人種の人々が英語という言葉で「おはよう」の挨拶を交わすのを見ると、泣けてきてしまう。ああ、この公園の中のようにひとつの場所を共有して生きていくことはできないのだろうか。

ひとつ気がついたことがある。

どんなに無表情で歩いている人がいても、毎日こちらから笑顔で挨拶していると、そのうちに挨拶するときだけでも笑顔になってもらえるのだ。もっとそれが続くと、相手が私の姿を認めたとたん、笑顔になってくれるのだ。

きっと明日の朝も私は走りに出かけていくだろう。

ダイエットのために?

いいえ、人々の温かさに触れるために。

2002/05/02



このエッセイはInfo Ryomaのコラムに書き下ろしたものです


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