リレーde文芸




一九九九年 六月のテーマ  「ダンス」

有名な小説家が、プロとアマの違いについてこんなことを書いていた。
アマチュアは時々良い作品を生み出すが、プロはいつでも良い作品を出し続けなければならない。厳しい言葉だが、そのとおりなのだろう。
趣味でキーボードーを叩きながらエッセイを書いている私とは、やはりプロは違うのだ。
それに、締め切りがある。「お題」が出ていることがほとんどだろう。
プロでも、向田邦子さんが、「愛」について文章を書いてくれと教会関係から依頼されて、その題に戸惑いながら書いたエッセイを思い出した。

納期遅れで、「お題」を見てもひらめかない、そんな状態に私はいる。

ダンスとは、あまり縁のない人生だったように思う。
ステップを覚えて踊るような、ソーシャルダンスを習ったことはない。
学生やOLのときにちょっぴり行ったディスコも、体は動かしてはいるものの、私にとっては、ダンスとは程遠いと感じていた。

「ダンス、ダンス」と、お経のように唱えてみる。

ふと、脳裏を、薄い黄緑の光がふわりと舞った。

始めて蛍を見たのは、小学校の2年生だっただろうか。
新興住宅地のまわりには、川は流れていなかった。人口的につくられた池が一つ。昔は隠し田だったという土地は、じめじめとしていて水はけが悪かった。
夏の夕方、網戸にオニヤンマやらカブトムシやらクワガタムシがぶつかってきたりした。
私の苦手な蛇は、私をあざ笑うようによく日向ぼっこをしていたし、しなくていいのに脱皮まで庭でしていた。
そんな田舎でも、蛍だけは、見たことがなかったのだ。
蛍という幻想的な昆虫がいると、本からの聞きかじりでは知ってはいても、実物を見たことのない者には、想像しようが限界がある。どのように光るのだろうか、何色の光なのだろうかと、想像だけを膨らませていた。

父が、ある日、金属でできた虫かごを下げて、帰ってきた。
接待を受けたのだろう。どこかの清流での夕食会のお土産だった。
覗きこんだ虫かごの中には、一匹、蛍が入っていた。

部屋の灯りを消し、息をひそめて待てば、蛍は淡い色を出して光った。
頭ではなく、胴体のお尻の部分で光るのだと、始めて知った。
虫かごを覗きこんだ私は、興奮状態にあった。

このとき、母が、現実に私を引き戻す発言をした。

「明日、この蛍、放してあげなさい。」

虫かごから放しても、この蛍はどこで生き延びていくというのだろう。
仲間もいないこんな場所で、どうしろというのだろう。
私は、激しく母に抵抗した。
それならば、まだ虫かごの中のほうがいいではないか。

蛍は、成虫になってから死ぬまでが、短いとも、母は話してくれた。
無闇に蝉を採ってはいけないように、蛍も短い命を全うさせてやらなければ可愛いそうだとも諭された。
では、なぜ、虫かごなんぞに一匹ずつ入れて、蛍をお土産になどするのだろうか。
小さな子供だから言葉にはうまく出せなかったが、それは、人間の身勝手だと思った。
しかし、身勝手だと思う反面、私は生きたままの光の宝石を、手放したくなかったのだ。

次の日の夜、私は蛍を虫かごから出してやった。
ギギギと小さな音をたてた少し錆付いた扉から、蛍は待っていたとばかりに飛び立っていった。

美しくて儚いからこそ、人は惹かれるのだろうし、それを少しでも所有したいと思うのだろう。
それは、人間だから許されるのだろうか。
食らうためではなく、愛でるために側に置いておくというのは、どういうことなのだろうか。
誰かがこんなことを言っていた。それは、ゆっくりと、殺すことだと。

ゆっくりと目の前を光りながら飛ぶ蛍は、私には、哀しい最期のダンスに見えた。

 

 

西暦一九九九年 水無月 吉日

雅世







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